福正寺。比企郡滑川町月輪にある天台宗寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

福正寺。月輪乃速御玉比売神社のもと別当

福正寺の概要

天台宗寺院の福正寺は、月光山勢得院(聖徳院)と号します。福正寺の創建年代等は不詳ながら、慈覚大師が開創したと伝えられ、その後法印賀山が開山したといいます。当寺勢至堂は、当地名の由来ともなった月輪殿藤原兼実が建久年間(1190~99)に当地へ下向した際、藤原兼実の守護仏勢至菩薩を奉安するために建立したとされます。明治維新後の神仏分離令まで、当寺南面に鎮座する氷川社(月輪神社)の別当をつとめていいました。比企西国三十三所観音霊場23番です。

福正寺本堂
福正寺の概要
山号 月光山
院号 勢得院(聖徳院)
寺号 福正寺
本尊 釋迦如来像
住所 比企郡滑川町月輪1243-1
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



福正寺の縁起

福正寺の創建年代等は不詳ながら、慈覚大師が開創したと伝えられ、その後法印賀山が開山したといいます。当寺勢至堂は、当地名の由来ともなった月輪殿藤原兼実が建久年間(1190~99)に当地へ下向した際、藤原兼実の守護仏勢至菩薩を奉安するために建立したとされます。明治維新後の神仏分離令まで、当寺南面に鎮座する氷川社(月輪神社)の別当をつとめていいました。

新編武蔵風土記稿による福正寺の縁起

(月ノ輪村)
氷川社別當福正寺
天台宗、下蒼鳥村浄光寺の末、月光山聖徳院と號す、本尊十一面觀音を安ず、
勢至堂。惠心僧都の作れる木像を安ず、これ月輪某の守護佛なりと云、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉宗教名鑑」による福正寺の縁起

福正寺
慈覚大師の開創と伝えられ、開山は法印賀山である。
建久年間(1190~99)、月輪殿藤原兼実、ゆえあって東国へ下向した時、この地に留り当寺を外護するとともに、建久7年(1196年)一堂を建立して守佛勢至菩薩を安置し、日夜礼拝を欠かさなかったという。ゆえに当地を月輪郷と呼ぶに至ったと伝えられている。
また、兼実は、帰京に際して自像を刻み、鎮守氷川明神社(現月輪神社)に納めたという。以来勢至堂を管理するとともに、神社の別当職を兼ね明治初年にまで及んだ。(「埼玉宗教名鑑」より)

勢至堂について

勢至堂
勢至菩薩は阿弥陀仏にお仕えし智恵の光を与え下さる菩薩で三夜様ともいわれている。
この勢至菩薩はその昔、月輪大納言藤原兼実公が常に尊崇礼拝していたと伝えられ、午歳生れの守り本尊として福徳円満海運出世、又安産や火防などに霊験があるといわれる。
堂の再建は建久七(一一九六)年と伝えられ、文禄に再建され今の建物は嘉永二(一八四九)年に再興、昭和五十年屋根等を改修現在に至る。
格天井は彩色の花鳥図で、優雅な天女と力強い龍の絵は藤原梅秀筆による。
須弥壇の四方には勢至菩薩にお仕えする卯の彫刻が施され、郷の人は兎を食べないといわれ、縁日には精進して信仰すると伝えられる。
磨きぬる智恵のかがみや勢至堂
迷いを照らせ 月の輪の里
縁日一月、四月 各二十三日(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)


福正寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉宗教名鑑」