浅久保富士浅間神社。武田信玄家臣の子柳下外記規道が創祀
浅久保富士浅間神社の概要
浅久保富士浅間神社は、和光市中央にある富士浅間神社です。浅久保富士浅間神社は、慶長19年(1614)に武田信玄家臣の子柳下外記規道が浅久保の地に浅間大神を創祀、明治6年に富士塚を築いたといいます。昭和32年当初の地から西方にあたる当地に移築、昭和57年に下新倉氷川八幡神社の飛び地境内となっています。また境内には、理化学研究所の地に祀られていた杉森稲荷も遷されています。
社号 | 富士浅間神社 |
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祭神 | 木之花開耶姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 杉森稲荷 |
祭日 | - |
住所 | 和光市中央1-3-22 |
備考 | - |
浅久保富士浅間神社の由緒
浅久保富士浅間神社は、慶長19年(1614)に武田信玄家臣の子柳下外記規道が浅久保の地に浅間大神を創祀、明治6年に富士塚を築いたといいます。昭和32年当初の地から西方にあたる当地に移築、昭和57年に下新倉氷川八幡神社の飛び地境内となっています。また境内には、理化学研究所の地に祀られていた杉森稲荷も遷されています。
下新倉氷川八幡神社掲示による浅久保富士浅間神社の由緒
慶長十九年(一六一四年)江戸時代初期第一〇八代後水尾天皇の御代創建、武田信玄の家臣原田(?)信房の子柳下外記規道(柳下家宗祖)富士吉田浅間大神を信仰してその分霊を浅久保の地に祀った。明治六年富士山を築き、昭和三十二年三十米西方の現地に1/3に縮小移築。昭和五十七年八月二十一日鎮守氷川八幡神社の境内神社となる。(下新倉氷川八幡神社掲示より)
「和光市史民俗篇」による境内杉森稲荷の由緒
杉森稲荷
この社は、現在浅久保浅間神社の傍らに祀られているが、以前は現在の理化学研究所の一角にあった。「正一位稲荷大明神」と刻まれた板石が祠の中に安置されている。(中略)今は講が廃絶している。(「和光市史民俗篇」より)
浅久保富士浅間神社の周辺図
参考資料
- 「和光市史民俗篇」