狭間稲荷神社。田端の講中が祀っていた社
狭間稲荷神社の概要
狭間稲荷神社は、和光市新倉にある稲荷神社です。狭間稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、天保六年(1835)神祇伯家の文書が講中に残され、田端の講中により祀られてきましたが、平成5年氷川八幡神社に飛地境内として移管されています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 和光市新倉3-7 |
備考 | - |
狭間稲荷神社の由緒
狭間稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、天保六年(1835)神祇伯家の文書が講中に残され、田端の講中により祀られてきましたが、平成5年氷川八幡神社に飛地境内として移管されています。
「和光市史民俗篇」による狭間稲荷神社の由緒
田端稲荷(狭間稲荷)
田端の講中で、午王山の下に祀っている小祠で、別称を「狭間稲荷」という。奉納額に「大正十一年一月吉日、奉納、正一位狭間稲荷神社、午王山」とあり、狐の台石には「大正八年二月吉日奉納、正一位狭間稲荷神社、天野源蔵」とある。天野氏は講中の中心人物で、初午には同氏宅がヤドになる。石鳥居には「田端備者講中、大正十一年三月」とある。天保六年(一八三五)神祇伯家の文書がある。現在一五戸で敷地百坪を管理している。(「和光市史民俗篇」より)
狭間稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿