北口箭弓稲荷神社。大正9年頃に松山箭弓稲荷神社を勧請
北口箭弓稲荷神社の概要
北口箭弓稲荷神社は、和光市新倉にある箭弓稲荷神社です。北口箭弓稲荷神社は、松山箭弓稲荷神社を参拝する講が、大正9年頃に松山箭弓稲荷神社を勧請して創祀、現在も私有地内で講員により護持されているといいます。
社号 | 箭弓稲荷神社 |
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祭神 | 保食命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 和光市新倉1-2-6 |
備考 | - |
北口箭弓稲荷神社の由緒
北口箭弓稲荷神社は、松山箭弓稲荷神社を参拝する講が、大正9年頃に松山箭弓稲荷神社を勧請して創祀、現在も私有地内で講員により護持されているといいます。
「和光市史民俗篇」による北口箭弓稲荷神社の由緒
北口箭弓稲荷
この小祠は北口の冨岡常次郎氏の屋敷の一角を借りて祀られている。これは大正九年ごろ、東松山市の箭弓稲荷を勧請してきたもので、一時は百人講といって盛大だったという。現在は八戸だけで初午に祀っている。奉納額に「箭弓稲荷大明神、大正九年三月、菅野一郎」とあり、狐の台石には「奉納膝折村渡辺倉蔵、大正九年三月吉日」とある。また社殿内の奉納額には「松山箭弓稲荷神社参拝北口百人講満講記念、昭和十二年四月十日」とあり、一〇五人の近郷の人々の名がみられ、盛んなころのようすをしのぶことができる。(「和光市史民俗篇」より)
北口箭弓稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「和光市史民俗篇」