西堀氷川神社。新座市西堀の神社
西堀氷川神社の概要
西堀氷川神社は、新座市西堀にある氷川神社です。西堀氷川神社の創建年代等は不詳ながら、野火止氷川神社が創建した承応年間(1652-1655)からさほど遅くない時期に創建したのではないかといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞雄命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、八雲神社 |
祭日 | - |
住所 | 新座市西堀1-4-17 |
備考 | - |
西堀氷川神社の由緒
西堀氷川神社の創建年代等は不詳ながら、野火止氷川神社が創建した承応年間(1652-1655)からさほど遅くない時期に創建したのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による西堀氷川神社の由緒
(野火止宿)
該当の記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による西堀氷川神社の由緒
氷川神社<新座市西堀一-四-一七(西堀字氷川前)>
江戸初期、川越藩主松平信綱により開かれた野火止新田四か村のうちの一村である西堀は、野火止め用水の本流に沿って南西から北東へ細長く延びる地域である。
寛文元年(一六六一)九月の野火止村年貢割付状によれば、野火止村は、本村(野火止宿)・菅沢村・西堀村・北野村の四か村に分けて記載されている。このうち、西堀村は同三年(一六六三)に松平氏の菩提寺平林寺が岩槻から野火止宿に移転すると、同五年(一六六五)に同寺の寺領として与えられ、平林寺領西堀村となった。下って化政期(一八〇四-三)の『風土記稿』には西堀村を野火止宿の小名として載せ、西堀村について「平林寺を当所に移せし後、彼寺領に寄附すと云、依て別村の如く西堀村と称し民家も四十戸群居したれど、其実は別村にあらず」と記している。
当社は古くから西堀村の鎮守として祀られている。本村の野火止宿にある氷川神社の創建が承応年間(一六五二-五五)と伝えることから、当社の創建はそれ以降のことであろう。平林寺の寺領として与えられた寛文五年には野火止村とは別村として扱われていたことから、これを余り下らない時期に村の鎮守として奉斎されていたと推測される。『風土記稿』に当社が見えないのは、記載を漏らしたとするのが妥当であろう。(「埼玉の神社」より)
西堀氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿