東福寺。新座市畑中にある真言宗智山派寺院
東福寺の概要
真言宗智山派寺院の東福寺は、十王山薬王院と号します。東福寺は、真海上人が養福寺薬王院と号して永享7年(1435)原ヶ谷戸に開山、承永法印が天正2年(1574)に当地へ移転、東福寺と改めたといいます。
山号 | 十王山 |
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院号 | 薬王院 |
寺号 | 東福寺 |
住所 | 新座市畑中2-5-22 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東福寺の縁起
東福寺は、真海上人が養福寺薬王院と号して永享7年(1435)原ヶ谷戸に開山、承永法印が天正2年(1574)に当地へ移転、東福寺と改めたといいます。
新座市教育委員会・新座市文化財保護審議委員会掲示による東福寺の縁起
十王山東福寺薬王院は真言宗智山派の寺院で、寺伝によると室町時代の永享七年(一四三五)に真海上人が開山したと伝えます。
当初は養福寺薬王院と号して旧原ヶ谷戸村に建立されましたが、天正二年(一五七四)に当時の住僧であった法印承永によって、東の方角にあたる現在地に移転して東福寺と名乗るようになったと伝えています。
本尊は薬師如来で、日光・月光菩薩および十二神将を脇侍としています。十二神将は十二薬叉大将ともいい、薬師如来の眷属として衆生守護の任にあたるとされています。
本堂には山号と係りある木造の十王像が納められています。十王は十王経に説かれている冥府の王で、閻魔王などがよく知られています。
東福寺のある旧下片山村は片山郷内十か村の一つです。郷内を流れる黒目河の最も下流に位置し、江戸時代には鳩もと羽田氏の知行地でした。(新座市教育委員会・新座市文化財保護審議委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起
(下片山村)東福寺
村の中央にあり、新義真言宗、石神井村三寳寺末、十王山と號す、客殿七間に五間、本尊薬師如来を安置す、開山開基ともに詳ならず。
閻魔堂。門前にあり。(新編武蔵風土記稿より)
東福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿