金泉寺。夢窓国師開山
金泉寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の金泉寺は、祥光山と号します。金泉寺は、夢窓国師(1275-1351)が開山となり創建、活道碩和尚が中興したといいます。夢窓国師は、朝廷七代より国師号を賜与され、七朝帝師とも称される名僧で、甲斐恵林寺や安国寺など多くの禅宗寺院を開創しています。
山号 | 祥光山 |
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院号 | - |
寺号 | 金泉寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 和光市新倉3-10-10 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金泉寺の縁起
金泉寺は、夢窓国師(1275-1351)が開山となり創建、活道碩和尚が中興したといいます。夢窓国師は、朝廷七代より国師号を賜与され、七朝帝師とも称される名僧で、甲斐恵林寺や安国寺など多くの禅宗寺院を開創しています。
新編武蔵風土記稿による金泉寺の縁起
(下新倉村)金泉寺
後ヶ谷にあり、臨済宗、鎌倉建長寺の末、祥光山と号す、本堂九間に七間、本尊釈迦如来坐像を安す、開山は夢窓国師なりと云、中興開山活道碩和尚は享保中の人なり。(新編武蔵風土記稿より)
金泉寺所蔵の文化財
- 筆塚
筆塚
筆塚とは江戸時代に寺子あるいは塾を開業した師匠(先生)の墓を、弟子または塾生が供養のため建立した碑で、筆子中・筆徒中・筆塚等の文字が刻まれているものは、これに類するものである。
この碑は当寺の住職武笠台岡師(1810-1878)のもので、その弟子たちが報恩感謝の念をもって建立したものである。
碑には師匠が次のようなことを述べている。
病に伏して久しく、まもなく命も終わるであろう。
自分の石塔を建てなければと考えていたとき、筆徒二百余名が浄財をあつめて、この碑を建てて私をよろこばしてくれたと。
そして自ら碑文を撰び、寿塔として、生前に建立されたものである。
師は上新倉村、下新倉村を中心とした有志の少年たちを集め、寺を解放して、読み・書き・算数を無報酬で教えたものである。(和光市教育委員会・和光市文化財保護委員会掲示よより)
金泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿