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番星寺。新座市野火止にある日蓮宗寺院

番星寺の概要

日蓮宗寺院の番星寺は、清立山と号します。番星寺は、もと板橋区徳丸にあって寛文年間(1664)に中山法華経寺(千葉県市川市)から寺号・山号を受けていたといいます。明暦2年(1655)から菅沢新田の開発がなされ、長谷川忠兵衛が開基檀那となり、徳丸にあった寺院を当地へ移建、円応院日近大徳(元禄13年1700年寂)が開山したといいます。

番星寺
番星寺の概要
山号 清立山
院号 -
寺号 番星寺
住所 新座市野火止3-13-6
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



番星寺の縁起

番星寺は、もと板橋区徳丸にあって寛文年間(1664)に中山法華経寺(千葉県市川市)から寺号・山号を受けていたといいます。明暦2年(1655)から菅沢新田の開発がなされ、長谷川忠兵衛が開基檀那となり、徳丸にあった寺院を当地へ移建、円応院日近大徳(元禄13年1700年寂)が開山したといいます。

「新座市史」による番星寺の縁起

菅沢村は、野火止台地の北西部に位置し、近世前期に川越藩主松平信網により聞かれた野火止新田四か村の一つである。正徳六(一七二八)年に記された「菅沢村草庵再造由来記」によれば、菅沢村の人々は、明暦二(一六五五)年に武蔵国橘樹郡菅沢村(神奈川県横浜市鶴見区菅沢町付近)の農民が、野火止新田開発の名のもとに、農夫一一人が集団移住したことによって成立した村落で、村名も出身地に因んで菅沢新田と名付けられたとされている。移住した人々が、菩提寺として創建したのが番星寺である。
寛文四(一六六四)年四月の妙福寺日教十界蔓茶羅によれば、番星寺はもと豊島郡徳丸村(東京都板橋区)にあり、寛文年間(一六六四)に中山法華経寺(千葉県市川市)から寺号・山号を受け、開基檀那長谷川忠兵衛が菅沢村に移建したものであった。その後、堂宇が荒廃したため、正徳六(一七一六) 年長谷川忠兵衛が領主(越後村上藩主松平輝貞)の許可を得て、堂宇を再建している。番星寺は、主に開基檀那である長谷川家によって維持されていたようである。
開山は円応院日近大徳で、元禄一三(一七〇〇)年七月二八日示寂し、正徳六(一七二八)年草庵が再建されて、第二世随法院宗善日悦が住持となっていたと思われる。しかし、『新編武蔵風土記』には単に法華堂とのみあり、その後は無住の時代が続いたと思われ、途中大成教正宗寺となったが、昭和二七年開宗七〇〇年を記念して、寺号を番星寺と復活し、現在に至つでいる。(「新座市史」より)

新編武蔵風土記稿による番星寺の縁起

(菅澤村)法華堂
小名下ノ分にあり、法華宗小榑村妙福寺塔中、大乗院の末、堂は五間、奥行二間半、是も南の方に向ふ、本尊宗祖菩薩、開基圓應院日近聖人、元禄十三年七月二十六日の示寂なり。
三十番神堂。境向にあり(新編武蔵風土記稿より)


番星寺の周辺図




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