神護寺。榎本英太郎氏が明治時代半ばに創建、白子不動
神護寺の概要
真言宗智山派寺院の神護寺は、成田山と号します。神護寺は、瀧不動の不動院に入って不動様の信仰をしていた榎本英太郎が、地福寺の協力を得て、地福寺境内地だった当地に不動堂を明治時代半ばに創建、白子不動と呼ばれ信仰を集めています。
山号 | 成田山 |
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院号 | - |
寺号 | 神護寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 和光市白子3-40-30 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
神護寺の縁起
神護寺は、瀧不動の不動院に入って不動様の信仰をしていた榎本英太郎が、地福寺の協力を得て、地福寺境内地だった当地に不動堂を明治時代半ばに創建、白子不動と呼ばれ信仰を集めています。
「和光市史民俗篇」による神護寺の縁起
神護寺
山号成田山 真言宗智山派。この寺は明治以後にできた寺である。笹目の方面の出身の人で、榎本英太郎という人がおり、瀧不動の不動院に入って不動様の信仰をしていたが、明治の半ばころ地福寺の第二五世亮中の協力もあってその境内飛び地であった現在地に不動堂を建てた。それから白子不動とか田んぼのお不動様と呼ばれて近在の信仰を集めた。はじめ白英山と名のった。正式認可は明治二一年だという。昭和三〇年代になって成田山神護寺を正式名称とした。(「和光市史民俗篇」より)
「全国寺院名鑑」による神護寺の縁起
成田山と号す。
大本山成田山新勝寺の末。
明治21年の創建で、本堂は大正3年に建立した。(「全国寺院名鑑」より)
神護寺の周辺図
参考資料
- 「和光市史民俗篇」