上横田八坂神社。天保8年の疫病により梅皇山から遷祀
上横田八坂神社の概要
上横田八坂神社は、比企郡小川町上横田にある神社です。上横田八坂神社の創祀については不詳ながら、疫病が流行した際に祀った社と伝わり、明治維新後の神仏分離により社名を天王社から八坂神社へ改称しています。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 夏祭り7月10日以降の日曜日 |
住所 | 比企郡小川町上横田・輪禅寺横の上横田会館 |
備考 | - |
上横田八坂神社の由緒
上横田八坂神社の創祀については不詳ながら、疫病が流行した際に祀った社と伝わり、明治維新後の神仏分離により社名を天王社から八坂神社へ改称しています。
新編武蔵風土記稿による上横田八坂神社の由緒
(上横田村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による上横田八坂神社の由緒
【天王様(上横田)】
明治以前の旧村を単位として見た場合、そのほとんどに「天王様」と呼ばれる祠が祀られている。「天王様」と呼ばれるのは、牛頭天王という大陸から渡来してきた仏教系の神を祀っていたためであるが、神仏分離により明治以降は社名を八坂神社、八雲神社もしくは津島神社と改め、祭神は素戔嗚尊に変更されている。
天王様は、一般に悪疫防除の神として信仰されている。上横田の天王様(八坂神社)も、昔、疫病が流行した際に祀ったものといわれ、疫病の流行期である七月十四・十五日(現在は七月十日過ぎの日曜日)に祭りを行い、山車を曳いたり、神輿を出して地内の悪疫を祓ってきた。しかし、太平洋戦争後は疫病の流行もなくなり、御利益も五穀豊穣・家内安全・地域発展などに変わり、祭りも子供神輿を担いで地域の親睦を図るような形に変わってきている。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
上横田八坂神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「小川町の歴史別編民俗編」