増尾白山神社。大梅寺開山円了禅師が勧請
増尾白山神社の概要
増尾白山神社は、比企郡小川町増尾にある神社です。増尾白山神社は、大梅寺を開山した円了禅師が建治2年(1276)に勧請したとされています。増尾の鎮守として祀られ、明治3年神仏分離により長昌寺と分離、明治4年村社に列格していました。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 白山権現(菊理媛命、伊弉諾命、伊弉冉命) |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社、天神社 |
祭日 | 例祭10月18・19日、天王様7月14・15日 |
住所 | 比企郡小川町増尾32 |
備考 | - |
増尾白山神社の由緒
増尾白山神社は、大梅寺を開山した円了禅師が建治2年(1276)(大梅寺は、建治2年創建説と、仁治3年1242年創建説あり)に勧請したとされています。増尾の鎮守として祀られ、明治維新の神仏分離以前は、大梅寺、およびその末寺長昌寺が社務を掌っていました。明治3年神仏分離により長昌寺と分離、明治4年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による増尾白山神社の由緒
(増尾村)
白山社
建治二年大梅寺大梅寺の開山圓了の勧請といへり、今も大梅寺にて社務を司どれり、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による増尾白山神社の由緒
白山神社(増尾三二)
増尾の白山神社は、穴八幡古墳などのある八幡台の麓に鎮座しており、増尾の鎮守として信仰されてきた。境内には推定樹齢四〇〇年という樫の大樹があり、特に信仰や神木としての伝えはないが、昭和五十七年ごろから注連縄を張るようになった。
社伝によれば、白山神社は大塚の大梅寺の開山である円了禅師が勧請した社で、加賀国(現石川県) の白山権現を禅家擁護の霊神として建治二年(一二七六)二月に遷座し、大梅寺の末寺で神社に隣接する増尾山長昌寺が神社の管理を行ってきたという。『新編武蔵風土記稿』には「今も大梅寺にて社務を司どれり」とあるが、白山神社は大梅寺と関わりの深い神社であることから、形式上は本山である大梅寺の管理下に置かれていたものと推測される。
神仏分離によって、白山神社は明治三年に長昌寺と分離され、同四年に村社となった。氏子からは「白山様」の通称で親しまれており、諸願成就の御利益があるという。また、境内にある八坂神社は、元は白山神社と合殿であったが、昭和五十四年に社殿を新たに造営して別に祀るようになったもので、健康を祈願する参詣者が多い。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
「埼玉の神社」による増尾白山神社の由緒
白山神社<小川町増尾三二(増尾字中条)>
増尾は小川盆地の西南部に当たる。南北を丘陵に挟まれ、中央を槻川が流れる。当社の鎮座地である中条は、中城の意とされ、『風土記稿』増尾村の項に「古城蹟 村の東小名中条にあり、四方二町許の地にて、から堀の蹟所々に残り、又櫓の跡なりとて小高き所あり(中略)土人の伝へに猿尾太郎種直が居城なりといへど、何人の枝属にて、何の時代の人と云ことは伝へざれば詳ならず」と記し、城郭跡があったことを伝えている。
当社の創建は、建治二年(一二七六)二月に円了禅師が加州(加賀国)白山権現を禅宗擁護の霊神として遷したと伝える。『風土記稿』にも「白山社 建治二年大塚村大梅寺の開山円了の勧請といへり、今も大梅寺にて社務を司どれり」と記している。当社の管理を行っていた大梅寺は曹洞宗の寺院で、入間郡竜ケ谷(現越生町)の竜穏寺の末寺であり、同じく建治二年に後深草院の第三子・梅皇子(守邦親王)が草創したと伝えている。社記には別当を長昌寺と記しており、当社の東側に隣接して建てられている。同寺は『風土記稿』に「曹洞宗、大塚村大梅寺末、猿尾山と号す、正中年中(一三二四-二六)の創立といへり、本尊阿弥陀を安置す、開山暾嶺邦秀」と記されている。恐らく日常の際し、神社運営は同寺に任されていたのであろう。
明治三年に神仏分離政策により、当社は同寺の管理から離れた。(「埼玉の神社」より)
増尾白山神社所蔵の文化財
- 白山神社の大カシ(小川町指定天然記念物)
増尾白山神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「小川町の歴史別編民俗編」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)