中爪八宮神社。比企郡小川町中爪の神社

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中爪八宮神社。比企郡小川町中爪の神社

中爪八宮神社の概要

中爪八宮神社は、比企郡小川町中爪にある神社です。中爪八宮神社の創建年代等は不詳ながら、普光寺が元和2年(1616)に創建していることから、その頃の創建ではないかといいます。また、徳川家康の関東入国後に当地の領主となった旗本高木甚左衛門正則が建立した毘沙門堂が前身とも伝えられ、普光寺が創建する際に、毘沙門堂が当地へ遷されて八宮社と改称したとも推定されています。

中爪八宮神社
中爪八宮神社の概要
社号 八宮神社
祭神 高龗神・伊豆能賣神・墨江三龗神・海見三柱神
相殿 -
境内社 東照宮、天神、蚕影
祭日 春大祭4月18日、秋大祭10月19日、天王様7月15日
住所 比企郡小川町中爪1039
備考 -



中爪八宮神社の由緒

中爪八宮神社の創建年代等は不詳ながら、普光寺が元和2年(1616)に創建していることから、その頃の創建ではないかといいます。また、徳川家康の関東入国後に当地の領主となった旗本高木甚左衛門正則が建立した毘沙門堂が前身とも伝えられ、普光寺が創建する際に、毘沙門堂が当地へ遷されて八宮社と改称したとも推定されています。

新編武蔵風土記稿による中爪八宮神社の由緒

(中爪村)
八宮社
村の鎮守なり、普光寺持、
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天神社
村持(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による中爪八宮神社の由緒

八宮神社(中爪一〇三九)
中爪の八宮神社の創建の年代については、不明である。しかし、神社の東側にあり、「中爪の大師様」として知られ、江戸時代は八宮神社も管理していた普光寺が元和二年(一六一六)の創建と伝えられていることから、八宮神社は戦国期ごろの創建ではないかといわれている。
また、『神社明細帳』には、「元毘沙門天と唱へ来りしも御維新以来素戔嗚尊と改称」と記されており、かつて村内にあった毘沙門堂と関係が深かったことがうかがえる。毘沙門堂は、地内の毘沙門谷津と呼ばれているあたりにあったといわれ、この堂を普光寺の隣に移した際、改称して神社としたものとの説もある。
境内に祀られている東照宮は、徳川家康公を祀る社で、幕臣であった高木甚左衛門正則が寛永年間(一六二四-四四)に家康公の御真影(絹本着色の画像) を普光寺に奉納した際に、これを安置するため建立されたものである。元は寺持ちであったが、明治以降、神仏分離によって一社となった。この御真影は普光寺に保管されており、毎年四月十七日(近年は十八日)にはこれを掛けて祭典を行う。(「小川町の歴史別編民俗編」より)

「埼玉の神社」による中爪八宮神社の由緒

八宮神社<小川町中爪一〇三九(中爪字馬戸場)>
中爪の普光寺は、「大師様」もしくは「厄除け大師」の通称で広く知られる天台宗の寺院である。当社は、この普光寺の西に隣接し、参道入口には火の見櫓が立っているため、遠くからでもその位置がよくわかる。境内の周囲には、桑畑と民家が散在し、のどかな田園風景が広がっているが、南側に望む丘の斜面には大規模な住宅団地が造成されており、開発の波が当社の近くまで迫っている。
当社は、中爪の鎮守として祀られてきた社で、江戸時代には普光寺が別当であった。創建の時期は明らかではないが、普光寺の創建が元和二年(一六一六)と伝えられることから、当社もその前後に勧請されたものではないかと考えられている。また、中爪村の名主を務めた本多家に残る古文書には「寛保三年(一七四三)鎮守八宮大明神建立、五月ヨリ始メ九月八日成就」とあるが、これは再建を意味するものであろう。
『明細帳』には、当社の祭神について、「元毘沙門天ト唱ヘ来リ候処維新以来素盞嗚命ト改称」と記されているが、当社と毘沙門天の関係は、現在では既にわからなくなっている。しかし、普光寺の寺伝によれば、同寺を草創した徳川家康の臣高木甚左衛門正則は古くから地内にあった毘沙門堂を厚く信仰していたとされ、普光寺創建以前には当社と毘沙門堂との間に深いかかわりがあったのかもしれない。(「埼玉の神社」より)


中爪八宮神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「小川町の歴史別編民俗編」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)