普光寺。比企郡小川町中爪にある天台宗寺院

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普光寺。旗本高木甚左衛門正則開基、小川七福神

普光寺の概要

天台宗寺院の普光寺は、薬王山瑠璃光院と号します。普光寺は、徳川家康が関東入国した後に、当地の領主となった旗本高木甚左衛門正則が、自身の信仰する毘沙門天を祀る堂宇を村内上郷に建立、隠棲した赤浜普光寺住職の堂庵として営まれていたといいます。高木甚左衛門正則は、三代将軍徳川家光から徳川家康公画像を拝領した際、中爪八宮神社隣接地に東照宮を建立、東照宮建立に際して、毘沙門天を祀る堂庵も当地に移して一寺となし、尊英法印が正保2年(1645)開山、慶安元年(1648)には寺領10石の御朱印状を幕府より受領していました。当寺では毎年1月3日に「厄除元三大師」の祭事を執行していることから、「大師様」とも称されているほか、飛び地境内の中爪観音堂とともに小川七福神を祀っています。

普光寺本堂
普光寺の概要
山号 薬王山
院号 瑠璃光院
寺号 普光寺
本尊 薬師如来像
住所 比企郡小川町中爪1042
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



普光寺の縁起

普光寺は、徳川家康の関東入国後に当地の領主となった旗本高木甚左衛門正則が、自身の信仰する毘沙門天を祀る堂宇を村内上郷に建立、隠棲した赤浜普光寺住職の堂庵として営まれていたといいます。高木甚左衛門正則は、三代将軍徳川家光から徳川家康公画像を拝領した際、中爪八宮神社隣接地に東照宮を建立、東照宮建立に際して、毘沙門天を祀る堂庵も当地に移して一寺となし、尊英法印が正保2年(1645)開山、慶安元年(1648)には寺領10石の御朱印状を幕府より受領していました。また地内に、末寺圓通寺(中爪観音堂)、の他十王堂・薬師堂を擁していました。当寺では毎年1月3日に「厄除元三大師」の祭事を執行していることから、「大師様」とも称されているほか、飛び地境内の中爪観音堂とともに小川七福神を祀っています。

新編武蔵風土記稿による普光寺の縁起

(中爪村)
普光寺
天台宗、東叡山の末、薬王山瑠璃光院と號す、寺領十石の御朱印は、慶安元年に賜れり、開山尊英正保二年十二月二十三日示寂せりと云、
寺寶東照宮御畫像。寛永の頃、地頭高木九助の奉納なりと云、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による普光寺の縁起

普光寺(中爪一〇四二)
「中爪の大師様」の通称で知られる普光寺は、薬王山瑠璃光院と号し、天台宗に属する寺院である。江戸時代は東叡山(東京都台東区上野の寛永寺)の末であった。本尊は、薬師如来である。
寺伝によれば、普光寺は正保二年(一六四五)に徳川家康の臣高木筑後守広正の孫、高木甚左衛門正則が開基となり、尊英法印を開山として創立したとされる。高木氏は、天正十八年(一五九〇)の徳川家康の関東入国の際、広野・和泉・越畑・杉山・中爪・横田郷などを領した旗本で、毘沙門天への信仰が厚く、村内上郷の松山に美沙門堂を建立し、赤浜村(現寄居町)普光寺住職尊慶など三代続いて隠居住したが、盗難が続いたため、正則の代に東照宮の勧請を機に、堂を東照宮の傍に移し、普光寺の寺号を襲用したものである。
寺宝として、正則が徳川家光から拝領したという徳川家康公画像があり、江戸時代には将軍家から寺領一〇石の朱印状を賜っている。
ちなみに、普光寺が「大師様」と呼ばれるのは、毎年一月三日に比叡山延暦寺第十八代座主の慈恵大師の徳にあやかつて厄除けを祈願する「元三大師」の祭事があるためで、各地から参詣者が訪れる。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


普光寺所蔵の文化財

  • 絹本着色徳川家康画像(町指定有形文化財)

絹本着色徳川家康画像

この画像は、中爪村を治めていた旗本高木甚左衛門正則が、三代将軍徳川家光に懇願し拝領したものです。
正保二年(一六四五)、正則はこの画像を安置するため、中爪村の鎮守である八宮明神の近くに、普光寺を中興開基しました。開山には、もともと村内にあった毘沙門堂に隠居していた男衾郡赤浜村塚田(寄居町)の普光寺の僧尊栄を迎え、普光寺の寺号を襲用しました。
像はやや右を向き、衣冠束帯で畳敷の上に座り、右手に笏を持ち、左手は太刀を添えています。頭上の御簾に葵巴文、背障に山水画、手前の板敷に一対の狛犬が描かれており、神格化された家康像として典型的なものです。軸木の銘から慶安四年(一六五一)に奉納されたことが分かります。
この画像は、毎年四月十七日に普光寺で公開されています。(小川町教育委員会掲示より)

普光寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」