諏訪神社奉祀跡。諏訪頼水が勧請した諏訪神社跡地
諏訪神社奉祀跡の概要
諏訪神社奉祀跡は、比企郡小川町奈良梨にある名所旧跡です。諏訪神社奉祀跡は、天正18年(1590)に徳川家康が関東に入国した際に、当地の領主となった諏訪頼水(諏訪大社上社の大祝家)が、旧領諏訪大社を勧請した跡地です。八和田神社(諏訪氏の家臣千野氏の祭った諏訪神社)の祭礼では、神輿が当地に渡御、「カマカツギ(鎌担ぎ)」という神事も残され、埼玉県旧跡に指定されています。
旧跡・名所名 | 諏訪神社奉祀跡 |
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区分 | 埼玉県指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 比企郡小川町奈良梨 |
備考 | - |
諏訪神社奉祀跡の縁起
諏訪神社奉祀跡は、天正18年(1590)に徳川家康が関東に入国した際に、当地の領主となった諏訪頼水(諏訪大社上社の大祝家)が、旧領諏訪大社を勧請した跡地です。八和田神社(諏訪氏の家臣千野氏の祭った諏訪神社)の祭礼では、神輿が当地に渡御、「カマカツギ(鎌担ぎ)」という神事も残され、埼玉県旧跡に指定されています。
境内掲示による諏訪神社奉祀跡について
天正18年(1590)の後北条氏の滅亡後、徳川家康は関東の支配体制の整備に着手しました。その中で家臣団の知行割が行われ、奈良梨は諏訪頼水の領地となりました。諏訪氏は奈良梨に入り、ここに旧領の諏訪(長野県)から諏訪社を勧請しました。この地は今でも「天王原」と呼ばれています。
諏訪社の跡地とされるこの場所には小さな石宮が建てられています。現在でも毎年10月の八和田神社の祭礼では、この地に神輿が渡御します。この祭りには、長い竹の先に取り付けた鎌を「カマカツギ」と呼ばれる子どもたちが持ち歩くという、この地域には見られない特徴があります。諏訪大社をはじめ長野県内の祭りでは「薙鎌」という特殊な鎌が使用されており、諏訪氏がもたらした祭礼の伝統がこの地に生き続けているのかもしれません。(小川町教育委員会掲示より)
諏訪神社奉祀跡の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」