仙覚律師遺跡。比企郡小川町大塚にある旧跡・名所

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仙覚律師遺跡。万葉集研究の基礎を築いた仙覚律師を顕彰

仙覚律師遺跡の概要

仙覚律師遺跡は、比企郡小川町大塚にある名所旧跡です。仙覚律師遺跡は、中世の土豪猿尾(ましお)氏の居館跡(中城跡)にある石碑です。増尾は貞享4年(1687)まで「猿尾」と書き慣わしていた(新編武蔵風土記稿)とされ、中世の書には「麻師宇(ましう)」と記されていました。仙覚律師は、当地で、「万葉集註釈」を著した僧侶で、以後の万葉集研究の基礎を築いたとされた人物です。仙覚律師を顕彰するため、国文学者・歌人の佐々木信綱撰文、岡山高蔭書により昭和3年に石碑が建立され、埼玉県文化財に指定されています。

仙覚律師遺跡
仙覚律師遺跡の概要
旧跡・名所名 仙覚律師遺跡
区分 埼玉県指定文化財
入場時間 -
入場料 -
住所 比企郡小川町大塚
備考 -




仙覚律師遺跡の縁起

仙覚律師遺跡は、中世の土豪猿尾(ましお)氏の居館跡(中城跡)にある石碑です。増尾は貞享4年(1687)まで「猿尾」と書き慣わしていた(新編武蔵風土記稿)とされ、中世の書には「麻師宇(ましう)」と記されていました。仙覚律師は、当地で、「万葉集註釈」を著した僧侶で、以後の万葉集研究の基礎を築いたとされた人物です。仙覚律師を顕彰するため、国文学者・歌人の佐々木信綱撰文、岡山高蔭書により昭和3年に石碑が建立され、埼玉県文化財に指定されています。

境内掲示による仙覚律師遺跡について

仙覚は、鎌倉時代の僧侶(天台宗)で、建仁三年(一二〇三)常陸国(茨城県)に生まれたが、没年は不明である。
万葉学者として知られる仙覚は、万葉集解読に半生を捧げた人で、彼の著作した「万葉集註釈」は、以後の万葉集研究の基礎をなしているといわれている。この奥書には「武蔵国比企郡北方の麻師宇郷の政所」と記されており、当地に仮宿し、まとめたものと推定されている。
この地域は、付近をとりまく土塁、空堀跡、櫓の跡から、中世の土豪、猿尾氏(ましお)の居城で中城跡といわれている。
なお、この記念碑は、昭和三年に仙覚律師遺跡保存会により建てられたものである。(埼玉県・小川町掲示より)

新編武蔵風土記稿による仙覚律師遺跡について

(増尾村)
増尾村は増尾郷玉川領に屬せり、増尾とかけるは後のことにて、既に文永六年武蔵國比企郡北方麻師宇郷政所に於てこれを注し畢と、【萬葉集仙覺抄】の奥書に見えたり、宇尾通音なれば則此地のことなるべし、正保改の國圖には猿尾とかけり、今の文字に改めしは貞享四年よりのことゝいへり、・・・(新編武蔵風土記稿より)


仙覚律師遺跡の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」