永源寺。比企郡小川町青山にある臨済宗妙心寺派寺院

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永源寺。天平19年に行基開創

永源寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の永源寺は、大根山と号します。永源寺は、天平19年(747)に行基が開創したと伝えられ、その後大嶺が弘安7年(1384)に再建したといいます。

永源寺本堂
永源寺の概要
山号 大根山
院号 -
寺号 永源寺
本尊 薬師如来像
住所 比企郡小川町青山1602
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



永源寺の縁起

永源寺は、天平19年(747)に行基が開創したと伝えられ、その後大嶺が弘安7年(1384)に再建したといいます。

新編武蔵風土記稿による永源寺の縁起

(青山村)
永源寺
同宗同末(臨済宗、郡中平村靈山院末)にて大根山と號す、本尊薬師は行基の作なり、開山春應元龜二年三月十五日寂せり、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による永源寺の縁起

永源寺(青山一六〇二)
永源寺は、大根山と号し、臨済宗妙心寺派に属する寺院である。江戸時代には比企郡平村(現都幾川村)霊山院の末であった。本尊は薬師如来で、行基の作と伝えられている。青山のうちでも上組に檀家が多い。
明治十九年にまとめられた青山村(当時) の『地誌』によれば、永源寺の由緒は次のように記されている。永源寺は天平十九年(七四七)に行基が開創したといわれ、積年行者称名の庵室であったがその後廃壊し、数百年間荒廃したままになっていたのを、弘安七年(一三八四)に二世の大嶺が自費を以て再建し、当時は相州(現神奈川県)鎌倉の建長寺の末寺となっていたが、応永二十年(一四一三)に霊山院の末寺となる。その後、天保二年(一八三一)八月二日に火災によって堂宇は灰燼と化した。しかし、翌三年には仮宇を再建し、明治十三年に補修を加えると共に庫裡を建立した。
ただし、「新編武蔵風土記稿』は、「本尊薬師は行基の作なり、開山春応元亀二年(一五七一)三月十五日寂せり」と、右の寺伝とは開山の異なる由緒を載せているが、その出典は不明である。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


永源寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」