普済寺。小川町伊勢根にある曹洞宗寺院
普済寺の概要
曹洞宗寺院の普済寺は、大貴山と号します。普済寺は、僧祖閣(文禄4年1595年寂)が開山、当地の名主家により保護を受け、大伽藍を擁していたものの、大正14年の火災により焼失してしまったといいます。
山号 | 大貴山 |
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院号 | - |
寺号 | 普済寺 |
本尊 | 十一面観世音像 |
住所 | 比企郡小川町伊勢根236 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
普済寺の縁起
普済寺は、僧祖閣(文禄4年1595年寂)が開山、当地の名主家により保護を受け、大伽藍を擁していたものの、大正14年の火災により焼失してしまったといいます。
新編武蔵風土記稿による普済寺の縁起
(伊勢根村)
普濟寺
大貴山と號す、遠山村遠山寺末、開山僧祖閣文禄四年正月十日寂す、本尊十一面觀音なり、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による普済寺の縁起
普済寺(伊勢根二三六)
普済寺は、大貴山と号し、曹洞宗に属する寺院である。江戸時代は、遠山村(現嵐山町)遠山寺の末であった。本尊は十一面観世音である。
寺伝によれば、開山は祖閣で、文禄四年(一五九五)正月十日の没と伝えられている。普済寺は、この辺の名主であった正木家によって代々保護されてきた。元は相当大きな伽藍であったというが、大正十四年三月十六日の払暁、火災のため焼失し、旧記などを失ってしまった。
普済寺には、かつて「日本に五体しかない珍しい仏様」といわれる黄金の仏像が祀られていた。この黄金仏は釈迦の思惟像で、不思議なことに大正十四年の火災で焼跡から見つかった住職の死体は、この黄金仏と同じように片膝を立てた思惟の姿であったという。普済寺の焼失の後は、黄金仏は前檀家によって守られていた。ところが、この仏様を預かるとよくないことが起こるということで、各家を転々とし、正木家の主唱で普済寺が再建されると寺に戻された。
その後、一度盗難に遭ったが現在は本堂に安置されている。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
普済寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」