慈恩寺。小川町木部にある臨済宗妙心寺派寺院
慈恩寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の慈恩寺は、華谷山と号します。慈恩寺は、面宗大和尚(長寛元年1163年寂)が開山、竹巌貞和が中興したといいます。
山号 | 華谷山 |
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院号 | - |
寺号 | 慈恩寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡小川町木部218 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慈恩寺の縁起
慈恩寺は、面宗大和尚(長寛元年1163年寂)が開山、竹巌貞和が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による慈恩寺の縁起
(男衾郡竹澤木部村)
慈恩寺
禅宗臨済派、甘粕村泉福寺末、花谷山と號す、開山面宗和尚、長寛元年十月化す、本尊十一面觀音を安ず、
天神社(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による慈恩寺の縁起
慈恩寺(木部二一八)
慈思寺は、花谷山(「華谷山」と記しているものもある)と号し、臨済宗妙心寺派に属する寺院である。江戸時代には、甘粕村(現寄居町)泉福寺の末であった。本尊は阿弥陀如来であるが、「新編武蔵風土記稿』は「本尊十一面観音を安ず」と記している。これは同書の編者の誤記であろうか。境内周辺は、かつては田畑の広がるのどかな農業地域であったが、近年開発が進み、現代的な住宅地へと大きく変貌しつつあるところで、慈恩寺とその裏山を取り囲むように宅地化が進んでいる。
開山は、面宗大和尚で、長寛元年(一一六三)十月十二日の没と伝えられる。その後、十一世の竹巌貞和和尚の代に中興がなされ、このころ泉福寺の末寺となったという。ちなみに、『旧竹沢村誌』によれば中興を行った竹巌貞和は在住七二年ののち、貞享二十年二月二十日に行年九十四歳で没したとされている。
慈恩寺の檀家は、原川・靭負・木部・勝呂にある。学校教育が普及するまでは、檀家区域の子弟を対象に寺子屋が開かれていたらしく、歴代住職の墓石の中には「筆子中」と刻まれたものがある。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
慈恩寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」