自性院。比企郡小川町腰越にある真言宗智山派寺院
自性院の概要
真言宗智山派寺院の自性院は、醫王山西照寺と号します。自性院は、栄性阿闇梨(文明元年1469年寂)が永享10年(1438)に開山、明治維新後の神仏分離以前は腰越熊野神社を擁していました。
山号 | 醫王山 |
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院号 | 自性院 |
寺号 | 西照寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 比企郡小川町腰越323 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
自性院の縁起
自性院は、栄性阿闇梨(文明元年1469年寂)が永享10年(1438)に開山、明治維新後の神仏分離以前は腰越熊野神社を擁していました。
新編武蔵風土記稿による自性院の縁起
(腰越村)
自性院
新義眞言宗、兒玉郡栗崎村宥勝寺の末、醫王山西照寺と號す、本尊薬師を置り、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による自性院の縁起
自性院(腰越三二三)
自性院は、医王山西照寺と号し、真言宗智山派に属する寺院である。江戸時代は児玉郡栗崎村(現本庄市)宥勝寺の末であった。境内は、北山と呼ばれる山の麓にあり、この山の中腹に祀られている熊野神社は江戸時代には自性院の持ちであった。
寺伝によれば開山は栄性阿闇梨で、栄性は永享十年(一四三八)四月に寺を開き、文明元年(一四六九)三月に没している。院号のの自性院の「性」の文字は、おそらくは開山の栄性の名にちなんだものであろう。
その後、十四世の快栄法印の代に中興がなされ、この時新たに客殿などが建立された。快栄は貞享五年(一六八八)に没しており、また十三世の宗栄は万治元年(一六五八)に没していることから、自性院の中興はその間の三〇年ほどのうちに行われたものではないかと思われる。
なお、本尊は医王山の山号にふさわしく病気平癒の御利益があるとして信仰の厚い薬師如来である。この薬師如来は宝暦八年(一七五八) に宮殿と共に造立されたもので、寺伝に「願主増尾村右岸是空近村勧化助力ニ而成就仕候」と記されている。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
自性院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」