能満寺。小川町高谷にある天台宗寺院
能満寺の概要
天台宗寺院の能満寺は、朝光山無量院と号します。能満寺の創建年代等は不詳ながら、宝亀3年(772)の創建とも伝えられます。その後衰微していたものの、僧良順(元禄9年1696年寂)が慈光寺の隠居寺として再興したと推定されています。
山号 | 朝光山 |
---|---|
院号 | 無量院 |
寺号 | 能満寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡小川町高谷1401 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
能満寺の縁起
能満寺の創建年代等は不詳ながら、宝亀3年(772)の創建とも伝えられます。その後衰微していたものの、僧良順(元禄9年1696年寂)が慈光寺の隠居寺として再興したと推定されています。
新編武蔵風土記稿による能満寺の縁起
(高谷村)
能満寺
麻光山無量院と號す、平村慈光寺末、本尊彌陀、行基の作なり、歴代の僧年代知べきものは、僧良順元禄九年五月五日寂すとふるしとす、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による能満寺の縁起
能満寺(高屋一四〇一)
能満寺は、朝光山無量院と号し、天台宗に属する寺院である。江戸時代は、平村(現都幾川村慈光寺の末であった。本尊は阿弥陀如来で、『新編武蔵風土記稿』によれば行基の作と伝えられている。
詳しい寺歴が残されていないため、開山・開基などはわからないが、一説には宝亀三年(七七二) の創立で、中興開山は良順と伝えられる。『新編武蔵風土記稿』も、「歴代の僧年代知べきものは、僧良順元禄九年(一六九六) 五月五日寂すと云をふるしとす」と記している。これらのことから考えると、衰微していた寺を良順の代に慈光寺の隠居寺として再興し、現在のような姿にしたのではないかと思われる。
寺内には薬師如来が祀られており、安産の御利益があるとして信仰が厚く、毎年十一月三日には縁日が行われている。また、能満寺の境内は、日赤小川病院のほぼ向かいにある小高い山の上に位置している。そのため、参詣するには急坂を登らなければならないが、それだけに境内からの眺望はすばらしく、春の花の時期、秋の名月の時期など四季それぞれに景色を楽しみに能満寺を訪れる人も多い。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
能満寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」