永昌寺。小川町能増にある曹洞宗寺院
永昌寺の概要
曹洞宗寺院の永昌寺は、巌龍山と号します。永昌寺は、高乘寺第11世斧山全鈯和尚(寛文13年1673年寂)を開山として、その弟子全道が中心となり寛文5年(1665)に創建したといいます。当寺には、かつて鎌倉時代に将軍が当地を通行した際、鎌倉の海岸の松を植樹したと伝えられ、樹齢1000年以上ともいわれた大松があり、埼玉県天然記念物にも指定されていましたが、松食い虫によって枯死してしまっています。
山号 | 巌龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 永昌寺 |
本尊 | 釋迦牟尼佛像 |
住所 | 比企郡小川町能増602 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
永昌寺の縁起
永昌寺は、高乘寺第11世斧山全鈯和尚(寛文13年1673年寂)を開山として、その弟子全道が中心となり寛文5年(1665)に創建したといいます。当寺には、かつて鎌倉時代に将軍が当地を通行した際、鎌倉の海岸の松を植樹したと伝えられ、樹齢1000年以上ともいわれた大松があり、埼玉県天然記念物にも指定されていましたが、松食い虫によって枯死してしまっています。
新編武蔵風土記稿による永昌寺の縁起
(能増村)
永昌寺
禅宗曹洞派、多摩郡上椚田村高乘寺の末なり、岩龍山と號す、本尊釋迦を安置せり、開山斧山は寛文十三年正月示寂す、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による永昌寺の縁起
永昌寺(能増六〇二)
永昌寺は、岩龍山と号し、曹洞宗に属する寺院である。江戸時代には、多摩郡上椚田村(現八王子市)の高乗寺の末であった。本尊は、釈迦如来で、馬頭観世音を併せ祀る。
寺伝によれば、永昌寺は寛文五年(一六六五)の開創で、開山の斧山全鈯和尚は寛文十三年(一六七三)に没している。永昌寺の建立は、斧山全鈯の弟子である全道が明暦二年(一六五六)に当地に来て布教を行い、多くの人の信望を得て寺の建立を発願したことに始まる。寛文元年(一六六一)に建立に着手したものの、師匠の斧山が転住したことなどによって建設が延期になり、寛文五年に至って完成したという。明治十四年に火災のため諸堂宇、什宝類が全焼し、同二十年に再建されたが、そののち再び焼失した。現在の本堂は、平成八年に再建されたものである。
永昌寺は、県指定天然記念物の大松があったことで知られている。この大松は、鎌倉時代に将軍がこの地を通った時、記念に鎌倉の海岸の松を植樹したと伝えられるもので、樹高は約三〇メートル、樹齢は千年以上ともいわれ、街道を行き交う人々の目印とされてきた。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
永昌寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」