呑龍堂と千日堂。比企郡小川町小川にある曹洞宗寺院

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呑龍堂と千日堂。西光寺の境外仏堂

呑龍堂と千日堂の概要

曹洞宗寺院の呑龍堂と千日堂は、西光寺の境外仏堂です。呑龍堂と千日堂は、西光寺の所属堂宇で、呑龍堂は「子育ての呑龍様」として著名な呑龍上人を祀り明治17年に開眼、また千に地藤は当地の次郎左衛門が延享3年(1746)に建立したといいます。

呑龍堂と千日堂本堂
呑龍堂と千日堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
本尊 呑龍上人像(呑龍堂)、阿弥陀如来像(千日堂)
住所 比企郡小川町小川
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



呑龍堂と千日堂の縁起

呑龍堂と千日堂は、西光寺の所属堂宇で、呑龍堂は「子育ての呑龍様」として著名な呑龍上人を祀り明治17年に開眼、また千に地藤は当地の次郎左衛門が延享3年(1746)に建立したといいます。

新編武蔵風土記稿による呑龍堂と千日堂の縁起

(小川村)
阿彌陀堂
西光寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による呑龍堂と千日堂の縁起

【呑龍尊・千日堂(小川)】
槻川に架かる馬橋のたもとを東に入ると、呑龍尊の堂とお籠り堂、その先に千日堂と三つの堂が立ち並んでいる。これらの堂は、槻川のそばにあるため、「槻川堂」「河原ん堂」などとも呼ばれている。
呑龍尊の堂は、島田ひゃくという人が明治十七年十月二十七日に「子育ての呑龍様」として知られる群馬県太田市の大光院の分霊で、「大光院鳳誉」の名をもって開眼したと伝えられており、安産・子育ての御利益がある。昔は、子供が病弱であると「呑龍様のお弟子になる」といい、頭を剃って呑龍様の縁日である毎月八日に必ず参詣して丈夫になるように祈ったものであったが、昭和三十年代以降は「お弟子」を見かけることはなくなったという。
この堂は、地元の呑龍講の人々が管理しており、毎年節分と九月人日の開山忌に祭りを行ってきたが、世話人が高齢化してきたことや、もとは五〇戸ほどあった講中も、一五戸ほどに減少して維持が困難になってきたため、近年は節分は中止している。昔は、節分には裃姿の世話人を先頭に芸者衆を引き連れて町内を豆を撒いて回ったものであった。開山忌も昔は手子舞が出たり、玉川ちどりの一座を呼んだり、にぎやかであった。
呑龍堂のそばにある千日堂は、現在の本町二丁目にある田中ふとん店の先祖の次郎左衛門という人が延享三年(一七四六)十一月に建立したものである。ただし、現在の堂は昭和七年二月二十二日に放火によって焼失した後、再建されたものである。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


呑龍堂と千日堂の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」