龍谷薬師堂。比企郡小川町小川にある曹洞宗寺院

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龍谷薬師堂。西光寺の境外仏堂

龍谷薬師堂の概要

曹洞宗寺院の龍谷薬師堂は、西光寺の境外仏堂です。龍谷薬師堂の創建年代等は不詳ながら、小川町有形文化財にも指定されている龍谷薬師如来立像は、十二世紀前半以降の作とされ、江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」には「西光寺持」の堂宇として記載されています。

龍谷薬師堂本堂
龍谷薬師堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
本尊 薬師如来像
住所 比企郡小川町小川1353
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



龍谷薬師堂の縁起

龍谷薬師堂の創建年代等は不詳ながら、小川町有形文化財にも指定されている龍谷薬師如来立像は、十二世紀前半以降の作とされ、江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」には「西光寺持」の堂宇として記載されています。

新編武蔵風土記稿による龍谷薬師堂の縁起

(小川村)
薬師堂
西光寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「小川町の歴史別編民俗編」による龍谷薬師堂の縁起

【龍谷の薬師堂(小川)】
下小川と青山の境界付近に、「龍谷の薬師様」と呼ばれる堂がある。これは、西光寺持ちの堂で、本尊は藤原時代の薬師立像で、町の有形文化財に指定されている。一般に、薬師如来は病気、とりわけ眼病平癒の御利益があるとして信仰されており、今日のように医療が発達せず、神仏に頼ることの多かった時代にはさかんに信仰され、各地に薬師如来を祀る仏堂が建立された。龍谷の薬師堂もその一つで、やはり眼病平癒の御利益があるとされ、かつては遠方からも多くの参詣者が訪れ、「向かい目」の絵馬を掛けて祈願したものであったが、近年は近所の人が参詣する程度であるという。
縁日は、かつては前薬師・中薬師・後薬師といい、十月の三日・十三日・二十三日と三度行ったが、昭和五十年代に十月十一日に一度だけ行うように変更した。縁日の日には、朝に幟を立て、午前八時半から西光寺の住職により開扉の儀式(いわゆる御開帳)を行い、参詣者には世話人や近所の人々が菓子や団子、茶などを振る舞う。
そうして、午後四時ごろから祈禱を行い、それが終わると近所の人々が片付けをして軽く一杯飲み、行事を終える。
昔は、夕方になると参道にたくさん飾った雪洞(ぼんぼり)に灯明を入れ、その明かりに導かれるように多くの人が参詣に訪れたものであったが、近年は遅くとも午後七時ごろには解散する。(「小川町の歴史別編民俗編」より)


龍谷薬師堂所蔵の文化財

  • 龍谷薬師如来立像(小川町指定有形文化財)

龍谷薬師如来立像

本像は、西光寺の境外堂である薬師堂の本尊です。像高は九七・三センチメートルで、形状は両肩を覆って衲衣(袈裟)をまとい、右手は肘を上に折り掌を前にして五指を伸ばす施無畏印を結び、左手に薬壺を持つ、典型的な薬師如来立像です。
構造は檜材の寄木造で彫眼・漆箔からなり、頭部・体部の幹部は前後二材、さらに両肩先は別材をつなぎ、両手先・両足先は別木としています。右手足の先、台座、光背、表面の金箔は後補で、左手先、左足先および薬壺は失われています。
全体にまとまりのある穏やかな姿で、頭部の盛り上がり(肉髻)が高く、整然と並んだ螺髪、ふくよかで温和な顔だち、なあらかな起伏のある体、薄手の衲衣と彫りが浅く流麗に刻まれた衣文様の表現など、定朝様式の特徴を備えています。その洗練された技法から、中央仏師の作と思われる美作で、製作時期も十二世紀前半に遡る可能性があります。(小川町教育委員会掲示より)

龍谷薬師堂の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小川町の歴史別編民俗編」