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氷川諏訪神社。桶川市小針領家の神社

氷川諏訪神社の概要

氷川諏訪神社は、桶川市小針領家にある神社です。氷川諏訪神社の創建年代などは不詳ながら、江戸期に小針村から小針領家村が分村した際に、小針領家村の鎮守として勧請したのではないかといいます。当社では、氷川・諏訪両社の草葺の同型社殿が並立していたと伝えられ、明治6年村社に列格、大正15年に氷川社と諏訪社を合祀し氷川諏訪神社としたといいます。

氷川諏訪神社
氷川諏訪神社の概要
社号 氷川諏訪神社
祭神 素戔嗚尊、建御名方命
相殿 -
境内社 浅間社、天満宮、天王神社、疱瘡神社
祭日 春祭り4月5日、例祭9月14日
住所 桶川市小針領家762
備考 -



氷川諏訪神社の由緒

氷川諏訪神社の創建年代などは不詳ながら、江戸期に小針村から小針領家村が分村した際に、小針領家村の鎮守として勧請したのではないかといいます。当社では、氷川・諏訪両社の草葺の同型社殿が並立していたと伝えられ、明治6年村社に列格、大正15年に氷川社と諏訪社を合祀し氷川諏訪神社としたといいます。

新編武蔵風土記稿による氷川諏訪神社の由緒

(小針領家村)
氷川社
村の鎮守なり、薬師寺持、
末社。荒脛社、疱瘡神社、太子堂(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による氷川諏訪神社の由緒

氷川諏訪神社<桶川市小針領家七六二(小針領家字本村)>
小針領家は、小針村からの分村で、初めは単に領家村と称した。その地名から中世に荘園の領家職が居住したことを物語る。慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』に領家村として記されているため、これ以前に小針村から分村したと思われる。その後、小針村は貫文年間(一六六一-七三)に小針内宿村・小針新宿村に分村した。各村が分村する以前からの小針村の惣鎮守は小針内宿の氷川社(明治四十年に羽貫の八幡社に合祀し、小針神社となった)で、文永元年(一二六四)の創建と伝える。
当社の創建については、中世の荘園の鎮守として祀られたとも考えられるが、江戸初期に小針村から分村の際に本村の鎮守を勧請したとするのが妥当であろう。『風土記稿』小針領家村の項には、「氷川社 村の鎮守なり、薬師寺持、末社 荒脛社、疱瘡神社、太子堂」とある。
明治初年の神仏分離により薬師寺は廃寺となり、当社は明治六年に村社となった。大正十五年には、境内の諏訪社を本社に合祀し、社号を氷川諏訪神社と改め、本殿の改築と幣殿・拝殿の新築を行った。同年の「神社合祀社号改称之記」の碑には、合祀以前から氷川・諏訪両社の草葺の同型社殿が並立していたと記されている。現在は覆屋内に両社の本殿があり、氷川社には往時の本地仏十一面観音像が安置される。(「埼玉の神社」より)


氷川諏訪神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)