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小針神社。伊奈町羽貫の神社

小針神社の概要

小針神社は、伊奈町羽貫にある神社です。小針神社は、明治時代末期の神社合祀に伴い、旧小針村(羽貫・小針内宿・小針新宿・大針)の鎮守として、域内の33社を合祀、羽貫の八幡神社の地に、大針の氷川社本殿を移して明治41年に成立しました。当地にあった羽貫の八幡神社は、寛永13年(1636)に加藤将監が創建、江戸期を通じて加藤将監の子孫所有の社で羽貫の鎮守として祀られてきた社で、小針内宿の氷川神社は文永元年(1264)(小針領家氷川諏訪神社による)の創建だといいます。

小針神社
小針神社の概要
社号 小針神社
祭神 素盞嗚尊、稲田姫命
相殿 -
境内社 浅間、御嶽、琴平、厳島、八雲、招魂、疱瘡、杓子稲荷
祭日 例祭4月15日、10月15日秋祭り
住所 伊奈町羽貫192
備考 -



小針神社の由緒

小針神社は、明治時代末期の神社合祀に伴い、旧小針村(羽貫・小針内宿・小針新宿・大針)の鎮守として、域内の33社を合祀、羽貫の八幡神社の地に、大針の氷川社本殿を移して明治41年に成立しました。当地にあった羽貫の八幡神社は、寛永13年(1636)に加藤将監が創建、江戸期を通じて加藤将監の子孫所有の社で羽貫の鎮守として祀られてきた社で、小針内宿の氷川神社は文永元年(1264)(小針領家氷川諏訪神社による)の創建だといいます。

新編武蔵風土記稿による小針神社の由緒

(羽貫村)
八幡社
村の鎮守なり、社の傍に社守を置きて守らしむ、村民の持、
末社、金比羅社、牛頭天王社、疱瘡神社
(小針内宿村)
氷川社
當村及び小針新宿村の鎮守なり、東光院の持、
末社。山王社、稲荷社、荒脛社、雷電社、
地蔵堂、寮
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神明社
稲荷社三所
其内一は小名しゃくしにあるを以て、しゃくし稲荷と云、
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辨天社三所
以上の神社持前に同、
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天王社
村民の持、
(小針新宿村)
稲荷社
村の鎮守なり、地蔵院持。
末社氷川社。小針内宿の氷川を鎮守とす、故に遥拝のために祀れりと云。
(大針村)
氷川社
村の鎮守なり、村持、
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愛宕社
東性寺持
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淺間社
観音寺持
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雷電社
羽黒社
神明社
以上村民の持
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稲荷社
大覺院の持、 (新編武蔵風土記稿より)

「伊奈町史」による小針神社の由緒

小針神社
小針神社は、明治末年の神社合祀で、旧小針村の神社を羽貫の八幡神社に合祀して成立した神社である。羽貫のほか、大針、小針内宿、小針新宿から各二人ずつ神社総代が出て、さらにその中から総代長、副総代長、会計が選出されている。
祭日は、昭和二三年の「埼玉県宗教事情一斉調査表」によれば、春祭が二月一七日、例祭が四月一五日、秋祭が一〇月一五日であり、このほか月次祭として二月一〇日と七月一日を挙げている。現在の祭日は、一月一日の元旦祭、四月一五日の春祭り、一〇月一五日の秋祭りの三回である。
小針新宿では、小針神社に二人の神社総代が出ている。任期は四年で、適宜交代する。たいてい、上宿と高野屋敷から一人ずつ出ていると、次は下宿と新田から一人ずつ出るような形である。
小針内宿からも、二人の神社総代が出ている。また、小針神社の幟立てや掃除には、年当番が出る。当番は、宿向、薬師堂根、戸崎から各三人ずつがでるもので、一年交代になっている。当番は、このほか小針内宿の地蔵様の祭礼や灯籠も担当する。
小針神社の神主は、大正年間には、小学校の教員であった本多義輔が行っていた。その後、昭和に入ってから上尾市上尾村に鎮座する氷川神社の今井家が兼務するようになった。戦後からは白岡町の関山家の兼務となり現在に至っている。
現在の小針神社は羽貫の八幡神社の敷地であるが、社殿は大針の氷川神社本般を移転させ現在に至っている。このとき、八幡様の社殿は加藤家に氏神として移転した。
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羽貫
旧八幡神社
羽貫の鎮守は八幡神社であった。これが明治四〇年に小針村内の神社を次々と合祀し、さらに明治四一年には社名を八幡社から小針神社に改称している。
『風土記稿』には村の鎮守として紹介され、さらに「社の傍に社守を置きて守らしむ」としている。このほか末社として金毘羅社、牛頭天王社、疱瘡神社を記している。『郡村誌』では村の西北にあり、祭神を誉田別尊、祭日を八月一五日、寛氷一三年(一六三六)に再建の棟札があることが記されている。
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浅間様
浅間様は、小針神社にある神社で、富士塚の上に鎮座している。ムラ持ちの神社で、七月一日の初山が祭日である。塚は、神社のすぐとなりにある田ん中の泥を積んで造ったという。浅間様の石碑は、富士山の方向を向いている。これを他所の方向に向けても、自然に富士山の方向を向くという。
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七社の神
羽貫には鎮守の八幡社を含めて七社の神があった。これらの神社は、九尺×九尺で全部同じ大きさの社である。七社の神は以下の通り。若宮社(原・小林家)、第六天社(原・加藤家)、天神社(谷畑・本多家)、雷電社(原・加藤家)、神明社(谷畑・本多家)、稲荷社(原加藤家)、八幡社 (「伊奈町史」より)

「埼玉の神社」による小針神社の由緒

小針神社<伊奈町羽貫一九二(羽貫字八幡)>
明治二十二年、羽貫村・小針新宿・小針内宿・大針の四か村を合併し、小針村が成立した。村名は小針の名が最も著名なことによるものである。大字は旧村名を継承し、大字羽貫に役場が設置された。
当社は、明治四十年に小針村内に鎮座していた三三社を遷座統合し、村の中心的な社として創建された。社地については、羽貫の村社であった八幡社の境内地が選ばれた。これは、羽貫地区に小針村の役場が置かれ、行政的な中心地であったことによるものである。翌四十一年に社号を八幡社から小針神社に改めた。
遷座統合の中心となった羽貫の村社八幡社は『郡村誌』に「勧請年月詳ならず、寛永十三年(一六三六)村民将監等再建せし棟札あり」と記載されるが、社蔵の『小針神社日誌』では「寛永十三年三月二十五日加藤将監勧請」とある。いずれの記述が正しいかは、棟札が現存せず判然としない。また『風土記稿』羽貫村の項には「八幡社 村の鎮守なり、社の傍に社守を置きて守らしむ、村民の持」とある。これに見える村民は裔を加藤将監の後指すのであろう。ほかの旧村のそれぞれの村社は、小針内宿が氷川社、小針新宿が稲荷社、大針が氷川社であった。現在本殿には、旧八幡社の八幡大明神像と元文三年の宗源宣旨(神階授与)、旧稲荷社の荼枳尼天像と享保九年及び文政三年の棟札、大針の旧氷川社の延享二年の幣帛などが納められている。(「埼玉の神社」より)


小針神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「伊奈町史」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)