醫光寺。桶川市加納にある真言宗智山派寺院
醫光寺の概要
真言宗智山派寺院の醫光寺は、東林山薬師院と号します。醫光寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿に「醫王寺」が該当するものと推察されます(誤転記か?)。明治12年内務省へ提出された「寺院明細帳」には「医光寺」と記載されています。
山号 | 東林山 |
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院号 | 薬師院 |
寺号 | 醫光寺 |
住所 | 桶川市加納1041 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
醫光寺の縁起
醫光寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿に「醫王寺」が該当するものと推察されます(誤転記か?)。明治12年内務省へ提出された「寺院明細帳」には「医光寺」と記載されています。
新編武蔵風土記稿による醫光寺の縁起
(上加納村・下加納村)
醫王寺
下分にあり、前ど同寺(瀧馬室村常勝寺)の門徒なり、東林山薬師院と號、こゝも薬師を本尊とせり
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
「桶川市史第七巻社寺文化財編」神社寺院明細帳による醫光寺の縁起
医光寺
埼玉県管下武蔵国北足立郡加納村字笹原
同県同国同郡滝馬室村常勝寺末
新義真言宗智山派 医光寺
一、本尊 薬師如来
一、由緒 不詳
一、本堂 間口六間奥行三間
明治廿三年二月廿六日焼失、明治廿六年三月四日本堂再建、
一、境内 四百七拾壱坪
一、境内仏宇 壱宇
薬師堂
本尊 薬師如来
由緒 不詳
堂 間口弐間三尺奥行弐間三尺 明治廿三年二月廿六日焼失
一、境外所有地(省略)
一、檀徒 七人
一、管轄庁迄 五里弐拾丁
以上(「桶川市史第七巻社寺文化財編」神社寺院明細帳より)
醫光寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」