広野八宮神社。比企郡嵐山町広野の神社
広野八宮神社の概要
広野八宮神社は、比企郡嵐山町広野にある神社です。広野八宮神社の創建年代等は不詳ながら、貞観10年(868)小川町下里の八宮神社を総社とし、近郷七ケ所に分霊された社の一社で、承平年間(913-938)には経基王が平将門征伐に際して戦勝祈願したと傳らえます。江戸期には広野村の鎮守として祀られ、当社隣接地の修験泉覺院が別当を勤めていました。
社号 | 八宮神社 |
---|---|
祭神 | 建速須佐之男命・大己責命・稲田姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 榛名神社、琴平神社 |
祭日 | 春季祭典4月3日、秋季祭典10月19日、 |
住所 | 比企郡嵐山町広野927 |
備考 | - |
広野八宮神社の由緒
広野八宮神社の創建年代等は不詳ながら、貞観10年(868)小川町下里の八宮神社を総社とし、近郷七ケ所に分霊された社の一社で、承平年間(913-938)には経基王が平将門征伐に際して戦勝祈願したと傳らえます。江戸期には広野村の鎮守として祀られ、当社隣接地の修験泉覺院が別当を勤めていました。
新編武蔵風土記稿による広野八宮神社の由緒
(広野村)
八宮社
村の鎮守なり、泉覺院持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による広野八宮神社の由緒
八宮神社<嵐山町広野九二七(広野字深谷)>
桑畑に囲まれた参道を進んでいくと、目の前に「百庚申」と呼ばれる庚申塔群があり、そこを過ぎると「八宮明神社」の額の掛かった鳥居がある。鳥居から社殿までの参道は緩い坂になっており、その東側には、元は泉覚院と呼ばれる修験で八宮神社の祭祀に深くかかわってきた宮本家がある。
当社の由緒は『比企郡神社誌』に「本社は清和天皇の貞観十年(八六八)本郡小川町下里の八宮神社を総社とし近郷七ケ所に分霊を祀るといふ。当社は其の一社として鎮祭し、爾後、承平年中(九一三-三八)源経基公東征の際当社に戦勝を祈願せしと伝ふ」とあるのが最も詳しく、『明細帳』では「由緒不詳」としか記されていない。また『風土記稿』には「八宮社 村の鎮守なり、泉覚院持」「泉覚院 本山修験、男衾郡板井村長命寺配下、本尊不動を安ず」と載る。
旧泉覚院の宮本家は、当社の氏子総代を務める当主の敬彦で三八代目という旧家で、英長の時に神仏分離に遭い、復飾して神職となり、広野(敬彦の祖父)の代まで神職を務めていたという。同家の邸内には鬼神神社が祀られているが、この鬼神神社は、同町川島にある鬼神神社の奥宮であるといわれ、同家が神職を務めていたころには悪魔祓いとして多くの人から信仰され、ことに戦時中は朝敵平定の御利益を求めて祈願者が多かったとのことである。(「埼玉の神社」より)
広野八宮神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)