勝田淡洲神社。比企郡嵐山町勝田の神社

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勝田淡洲神社。比企郡嵐山町勝田の神社

勝田淡洲神社の概要

勝田淡洲神社は、比企郡嵐山町勝田にある神社です。勝田淡洲神社の創建年代等は不詳ながら、淡島明神と称し宝永年間(1704-1711)に社殿建立、嘉永年間(1848-1854)に鳥居を建立、村の鎮守として祀られていたといいます。勝田に関しては、『東鑑』建久四年(1193)の條に毛呂太郎季綱が「武蔵国泉勝田(滑川町和泉と嵐山町勝田)」を領有したことが記載されることから、徳川家康が関東入国した安土桃山時代には一村として成立していたものと思われ、また当地が伊古乃速御玉姫神社の信仰圏に該当すること伊古乃速御玉姫神社を勧請して祀ったものと思われます。

勝田淡洲神社
勝田淡洲神社の概要
社号 淡洲神社
祭神 保武田別尊、息長足日賣命、武内宿彌命、菅原道真公、武甕槌命
相殿 -
境内社 稲荷鹿島合殿、天神社、産泰社
祭日 春祭り4月3日、例大祭10月19日
住所 比企郡嵐山町勝田270
備考 -



勝田淡洲神社の由緒

勝田淡洲神社の創建年代等は不詳ながら、淡島明神と称し宝永年間(1704-1711)に社殿建立、嘉永年間(1848-1854)に鳥居を建立、村の鎮守として祀られていたといいます。勝田に関しては、『東鑑』建久四年(1193)の條に毛呂太郎季綱が「武蔵国泉勝田(滑川町和泉と嵐山町勝田)」を領有したことが記載されることから、徳川家康が関東入国した安土桃山時代には一村として成立していたものと思われ、また当地が伊古乃速御玉姫神社の信仰圏に該当すること伊古乃速御玉姫神社を勧請して祀ったものと思われます。

新編武蔵風土記稿による勝田淡洲神社の由緒

(勝田村)
淡洲明神社
村の鎮守なり、
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天神社
鹿島社
稲荷社
以上の四宇は百姓持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による勝田淡洲神社の由緒

淡洲神社<嵐山町勝田二七〇(勝田字前)>
当社の鎮座する大字勝田は滑川右岸の比企丘陵と低地に位置する。地名の由来は、良い水田の村の意からといわれる。
『明細帳』によると、当社は「勧請年月不詳宝永年中(一七〇四-一一)中宮建立、文化年中(一八〇四-一八)上屋建立、嘉永年中(一八四八-五四)鳥居建立」と記載されている。また江戸期には淡島明神と号していたが、維新の際現在の社号に改称したと伝える。
淡島明神は、一説に紀伊国(現和歌山県)名草郡加太之浦に鎮座する加太神社(淡島明神)を勧請したものとされている。江戸期に「あわしま」といわれる宗教職能者が全国を回って、経文や縁起を語り歩いており、特に女性の帯下の病気をいやす祈願をして一層の信仰を集めたという。当社もそのようないきさつとかかわって勧請されたものであろうか。
『風土記稿』には、勝田村の鎮守について「淡洲明神社 村の鎮守なり、天神社 鹿島社 稲荷社以上の四宇は百姓持」と一記載されており、化政期(一八〇四-一〇)には、当社が村の鎮守として崇敬されていたことがわかる。
明治四十年四月には字菅原台の天神社と字前の鹿島神社を合祀している。
昭和二十八年に本殿・拝殿共に大修理が行われた。(「埼玉の神社」より)


勝田淡洲神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)