将軍沢日吉神社。比企郡嵐山町将軍沢の神社
将軍沢日吉神社の概要
将軍沢日吉神社は、比企郡嵐山町将軍沢にある神社です。将軍沢日吉神社の創建年代等は不詳ながら、坂上田村麻呂が東征の際の延喜10年(910)に天台宗明光寺を建立、明光寺の鎮守として山王社を創建したのではないかとも推測されています。将軍沢の鎮守として祀られ、明治維新後地内の大宮権現社(現将軍神社)、神明社、愛宕社、稲荷社を当社境内へ遷しています。
社号 | 日吉神社 |
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祭神 | 大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | 将軍神社、稲荷神社、山神社、神明神社、愛宕神社 |
祭日 | 春季大祭4月10日、秋季大祭10月20・21日 |
住所 | 比企郡嵐山町将軍沢425 |
備考 | - |
将軍沢日吉神社の由緒
将軍沢日吉神社の創建年代等は不詳ながら、坂上田村麻呂が東征の際の延喜10年(910)に天台宗明光寺を建立、明光寺の鎮守として山王社を創建したのではないかとも推測されています。将軍沢の鎮守として祀られ、明治維新後地内の大宮権現社(現将軍神社)、神明社、愛宕社、稲荷社を当社境内へ遷しています。
新編武蔵風土記稿による将軍沢日吉神社の由緒
(将軍澤村)
山王社
村の鎮守なり、明光寺持、此邊二町許の松林あり、不添の森と云、
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大宮権現社
高さ三尺許の塚上にあり、利仁将軍の靈を祭れり、相傳ふ昔藤原利仁、此地を經歴して、此塚に腰掛て息ひしことありし故、かく號すと云、明光寺の持、
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神明社
愛宕社
稲荷社
何れも明光寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による将軍沢日吉神社の由緒
日吉神社<嵐山町将軍沢四二五(将軍沢字東方)>
大山咋命を祀る当社は、鎌倉街道上道と呼ばれる街道脇に鎮座する。住宅やゴルフ場などの開発が進み、樹木が次々と伐採される中にあって、当社の境内は杉を主として樹木が多く、緑豊かな環境を守り続けていることから、平成三年には町の保護木の指定も受けている。また、社殿の裏手には、松の大木があったが、近年、松食い虫にやられ、枯死してしまった。かつて、当社の付近は『風土記稿』に「此辺二町許の松林あり、不添の森と云」と載るように、松林であったが、開発や松食い虫の害のため、既に当時の面影はない。
当社の創建の年代は定かではないが、江戸時代には山王社と呼ばれ、明光寺の持ちであった。明光寺は、寺伝によれば、延喜十年(九一〇)三月五日、坂上田村麻呂が東征の際、当地に寄った時に一堂を建立したことに始まり、元弘・延元のころ(一三三一-四〇)には兵火にかかって塔堂を焼失したという。明光寺が天台宗の寺院であることを考えると、当社は、その寺鎮守として創建された可能性もある。
将軍沢の地名は、村内字大宮に坂上田村麻呂(一説には藤原利仁)を祀る大宮権現社があることに由来するといわれる。『風土記稿』よれば同社は、藤原利仁が当地を通った時に腰掛けて休んだ「高さ三尺許の塚上」にあったが、神仏分離により将軍神社と改称し、明治七年に当社の境内に移された。(「埼玉の神社」より)
将軍沢日吉神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)