蛇坂の水神塔。水運関係者が文化5年(1808)に造立した水神塔
蛇坂の水神塔の概要
蛇坂の水神塔は、比企郡嵐山町菅谷にある名所旧跡です。蛇坂の水神塔は、江戸時代に盛んだった都幾川の水運に関係した人々により文化5年(1808)に造立された水神塔で、町有形文化財に指定されています。同様の水神塔に、上唐子の水神塔があります。
旧跡・名所名 | 蛇坂の水神塔 |
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区分 | 嵐山町指定文化財 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 比企郡嵐山町菅谷 |
備考 | - |
蛇坂の水神塔の縁起
蛇坂の水神塔は、江戸時代に盛んだった都幾川の水運に関係した人々により文化5年(1808)に造立された水神塔で、町有形文化財に指定されています。同様の水神塔に、上唐子の水神塔があります。
境内掲示による蛇坂の水神塔について
蛇坂の水神塔
水神塔は水源や溜池、水路、川の堤などの水辺に建てられ、湧水の安定、利水や水路の保護、水難除けや洪水防護など水に関わる様々な目的により造られる。
この水神塔は、表面に「水神塔」と篆書体で刻字されている。造立年代は、裏面の碑文に文化五年(一八〇八)とあり、杉山・太郎丸・川島・志賀・越畑・菅谷(現嵐山町)、水房・和泉・中尾(現滑川町)の十ヵ村、三十数名の人名が記されている。
ここから約六〇〇メートル下流の東松山市上唐子(月田橋畔)にも水神塔があり、碑面には「筏連中」と刻まれ、千手堂・遠山(現嵐山町)と都幾川右岸の村々十七ヵ村の筏師名が記されている。
江戸時代の比企丘陵は、松が多く繁っており、農閑期には農家の副業として筏られた赤松が筏に組まれ、建築・土木用材として都幾川の水運により大都市江戸へと送られていた。
蛇坂の水神塔も、こうした都幾川の水運に関係した人々によって安全祈願の目的で造立されたものと思われ、町の近世史や民俗史の一端を知る重要な資料である。(嵐山町教育委員会掲示より)
蛇坂の水神塔の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」