向徳寺。比企郡嵐山町大蔵にある時宗寺院
向徳寺の概要
時宗寺院の向徳寺は、大福山無量院と号します。向徳寺は、清阿(宝治2年1248年寂)が開山、その後廃寺となったものの、江戸時代の慶安2年(1649)に幕府より寺領10石の御朱印状を受領、向阿徳音(天和2年1682年寂)が中興したといいます。
山号 | 大福山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 向徳寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡嵐山町大蔵635 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
向徳寺の縁起
向徳寺は、清阿(宝治2年1248年寂)が開山、その後廃寺となったものの、江戸時代の慶安2年(1649)に幕府より寺領10石の御朱印状を受領、向阿徳音(天和2年1682年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による向徳寺の縁起
(大蔵村)
向徳寺
時宗、寺領十石、慶安二年の御朱印を賜へり、相模國藤沢清浄光寺の末、大福山無量院と號す、開山清阿寶治二年四月八日寂せり、後廢寺となりしに、向阿徳音中興せりと云、此僧は天和二年十二月十五日寂せり、今の寺號は此名を用ひたるに似たれど、中興の時改めしなるべし、本尊三尊阿彌陀、惠心僧都の作なり、
鐘樓。鐘に元文五年鑄造の銘あり、
熊野社
稲荷社(新編武蔵風土記稿より)
向徳寺所蔵の文化財
- 銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像(国指定重要文化財)
- 向徳寺板碑(板石塔婆)群(町指定有形文化財)
銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像
この三尊像は、いわゆる善光寺式阿弥陀三尊像と呼ばれる型式である。光背は、すでに失われてしまっているが、均整のとれた優美な造形である。
中尊の台座反花には次のように刻まれている。
「武州小代奉治鋳檀那父栄尊母西阿息西文宝治三己酉二月八日」
小代とは武蔵七党の児玉党小代氏の根拠地、現在の東松山市高坂の正代である。
この時代の地方文化の力強さ、とくに高度な鋳造技術に裏付けられた仏教美術の水準の高さを窺わせる資料として貴重なものである。
(嵐山町教育委員会掲示より)
向徳寺板碑(板石塔婆)群
向徳寺は、神奈川県藤沢市清浄光寺(遊行寺)の末で、鎌倉時代の創建と伝える時宗の古刹である。
板碑は、墓地と本堂内にあわせて二八基あり、年代は、元号の読める資料によると鎌倉・南北期・室町の各時代にわたっている。
板碑は、板石塔婆あるいは青石塔婆とも呼ばれるように、緑泥片岩の性質を利用してつくられた偏平な石造供養塔婆である。戦乱のうち続くなか、人々の平安への願いを伝える中世の代表的な資料である。なお、町内には五五〇あまりの基数が確認されており、そのうちここの板碑群を含めて六件が指定文化財となっている。(嵐山町教育委員会掲示より)
向徳寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿