越畑観音堂。比企郡嵐山町越畑にある寺院

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越畑観音堂。比企西国三十三所観音霊場

越畑観音堂の概要

寺院の越畑観音堂は、八宮山多門院観音寺と号していた天台宗寺院でした。越畑観音堂の創建年代等は不詳ながら、江戸期には越畑八宮神社や淺間社・客人社・大典社の別当を勤めていました。明治維新後廃寺となりましたが、観音堂は、比企西国三十三所観音霊場30番として残されている他、越畑八宮神社獅子舞の出発点となっています。

越畑観音堂本堂
越畑観音堂の概要
山号 八宮山
院号 多門院
寺号 観音寺
本尊 釋迦牟尼佛像
住所 比企郡嵐山町越畑642付近
宗派
葬儀・墓地 -
備考 -



越畑観音堂の縁起

越畑観音堂の創建年代等は不詳ながら、八宮山多門院観音寺と号する天台宗寺院で、江戸期には越畑八宮神社や淺間社・客人社・大典社の別当を勤めていました。明治維新後廃寺となりましたが、観音堂は、比企西国三十三所観音霊場30番として残されている他、越畑八宮神社獅子舞の出発点となっています。

新編武蔵風土記稿による越畑観音堂の縁起

(越畑村)
觀音寺
天台宗、中爪村普光寺の門徒なり、八宮山多門院と云、本尊正觀音は、開山憲舜延寶六年十月七日寂す、(新編武蔵風土記稿より)


越畑観音堂所蔵の文化財

  • 八宮神社獅子舞

八宮神社獅子舞

八宮神社は、天平年間(七二九年頃)の創建と伝えられ、承平年間(九三一年頃)源経基が戦勝祈願したと云われ、明治四十年には八社を合祀した。
この獅子舞の起源は、悪病流行や大ききんのあった時、伊勢山田より伝えられたともいい、一説には、徳川時代(元禄の頃)伝えられたともいう。
獅子は、中郷の正法寺と下郷の観音寺を宿としていたが、戦后は中郷の宝薬寺と観音寺を交互に宿とし、氏子中の長男を主役とし、万灯、ホロ貝、先払い、先達(神官)、氏子総代、棒司、花笠、頭笛、笛吹衆、中立、獅子の順に行列をつくって神社にくりこむ。
曲目は初庭と二庭の二曲
七月二十五日(旧暦六月二十五日)の祭礼には、豊作、疫病除け、雨乞いなどの祈願のためこの獅子舞が奉納される。(宝薬寺境内掲示より)

越畑観音堂の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿