千手院。比企郡嵐山町千手堂にある曹洞宗寺院

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千手院。比企西国三十三所観音霊場

千手院の概要

曹洞宗寺院の千手院は、普門山と号します。千手院は、村上天皇自作の千手観世音菩薩を、慈恵大師が応和2年(962)に奉安して開基したといいます。寛正年間(1460-1466)銘の鰐口に「比企郡千手堂」と刻されていることから、室町時代には千手観世音菩薩像を奉安する千手堂として祀られ、地名由来の寺院となっています。その後遠山寺第2世幻室伊芳(天文15年1546年寂)が曹洞宗寺院として開山しています。比企西国三十三所観音霊場27番です。

千手院本堂
千手院の概要
山号 普門山
院号 千手院
寺号 -
本尊 千手観音像
住所 比企郡嵐山町千手堂759
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



千手院の縁起

千手院は、村上天皇自作の千手観世音菩薩を、慈恵大師が応和2年(962)に奉安して開基したといいます。寛正年間(1460-1466)銘の鰐口に「比企郡千手堂」と刻されていることから、室町時代には千手観世音菩薩像を奉安する千手堂として祀られ、地名由来の寺院となっています。その後遠山寺第2世幻室伊芳(天文15年1546年寂)が曹洞宗寺院として開山しています。

新編武蔵風土記稿による千手院の縁起

(千手堂村)
千手院
曹洞宗、遠山村遠山寺末、普門山と號す、本尊千手觀音を安置ぜり、當院古へわづかの堂なりしを、幻室伊芳と云僧一院となせり、依て彼僧を開山となす、示寂は天文十五年二月朔日と云う、入間郡黒須村蓮華院の觀音堂に掛たる鰐口の銘に、奉施入武州比企郡千手堂鰐口、大工越松本、寛正二年辛巳十月十七日、願主釜形四郎五郎とあり、越松本の三字は解し難けれど、是當院のものなるべければ、寛正の頃はいまだ堂たりしこと知べし、 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉宗教名鑑」による千手院の縁起

応和2年(962)村上天皇自作の千手観世音菩薩を、慈恵大師が当地に安置した。これを以て開基としている。
その後、鎌倉時代初期の文治(1185~1190年)建久年間(1190~1199年)には兵火にかかり焼失し、天文年間(1532~55年)再興した、と伝えられている。 (「埼玉宗教名鑑」より)


千手院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿