志賀観音堂。比企西国三十三所観音霊場
志賀観音堂の概要
曹洞宗寺院の志賀観音堂の創建年代等は不詳ながら、江戸時代中期(貞享5年1688年銘)から明治期のかけての石造物が残されていることや、江戸期には志賀が川越児玉往還の宿駅となっていたことから、江戸期の創建が窺えます。本尊の観世音菩薩像は、比企西国三十三所観音霊場28番となっている他、境内の石仏群は嵐山町有形文化財に指定されています。
山号 | - |
---|---|
院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 観世音菩薩 |
住所 | 比企郡嵐山町志賀675 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 大谷山寶城寺管理 |
志賀観音堂の縁起
志賀観音堂の創建年代等は不詳ながら、江戸時代中期(貞享5年1688年銘)から明治期のかけての石造物が残されていることや、江戸期には志賀が川越児玉往還の宿駅となっていたことから、江戸期の創建が窺えます。
新編武蔵風土記稿による志賀観音堂の縁起
(志賀村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
志賀観音堂の縁起
- 志賀観音堂の石仏群(町指定有形文化財)
志賀観音堂の石仏群
近世の志賀村は「川越児玉往還」の宿駅として知られ、志賀観音堂は「比企西国観音霊場二十八番」の札所としてにぎわいを見せた。
境内には多くの石仏があり近年においての建立も盛んである。
このうち、江戸期から明治期の造立年代が確認できる七種類、十一点についてが町指定となっている。内訳は、庚申塔三、馬頭観音一、地蔵菩薩二、名号塔一、大黒天一、宝塔一、聖徳皇太子二であり、造立年代は貞享五年(一六八八)を初出とし、明治八年(一八七三)までの一八五年間である。
いくつかの特色を挙げると、二基の聖徳皇太子は、近郷の大工職人による「聖徳太子講」による建立、寛保元年(一七四一)の宝塔は、高さ二二四センチメートルで町内最大。安政七年(一八六〇)の庚申塔には「志賀駅」、元治元年(一八六四)の飽海地蔵菩薩には「左鬼神道」とあり、道標を兼ねている。
これら石仏群は、造形的に優れているのはもとより、信仰の拠点、交通の要衝という観音堂の歴史的背景を知ることができる貴重な資料である。(嵐山町教育委員会掲示より)
志賀観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿