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冨士浅間神社。さいたま市岩槻区府内の神社

冨士浅間神社の概要

冨士浅間神社は、さいたま市岩槻区府内にある神社です。冨士浅間神社は、戦国時代に岩槻城主太田氏が城下で最も標高の高い当地に冨士山頂から神霊を勧請、当地を冨士宿と名付けたといいます。

冨士浅間神社
冨士浅間神社の概要
社号 冨士浅間神社
祭神 木花開姫命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市岩槻区府内1-6-24
祭日 -
備考 -



冨士浅間神社の由緒

冨士浅間神社は、戦国時代に岩槻城主太田氏が城下で最も標高の高い当地に冨士山頂から神霊を勧請、当地を冨士宿と名付けたといいます。

新編武蔵風土記稿による冨士浅間神社の由緒

(富士宿町)
富士浅間社
神主仙波大和。吉田家の配下にて浮谷村にあり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による冨士浅間神社の由緒

冨士浅間神社<岩槻市府内一-六-二四(岩槻字富士宿)>
岩槻城下の諏訪小路口から南に延びる越ケ谷道沿いに形成された富士宿町は、中世において市立てが行われた古い町で、戦国期の成立とされる「市場之祭文写」に「武州崎西郡岩付ふち宿市祭成之」と見える。富士宿町の名が当社の鎮座に由来するとされることから、市立てが行われていた頃には既に当社も祀られていたと推測される。
当社は、岩槻城の南東に当たる大構(土塁)の一部である高台に鎮まる。社伝によると、岩槻太田氏が城下で最も高台に当たるこの地を選び社殿を造営し、駿河国富士山から神霊を遷したことに始まる。また、一節には、当社はもと富士宿町の北隣の元浅間にあったが、ある時その御札が飛んで来て現在の地に落ちたことから、こちらに移し祀ったと伝えている。ちなみに現在元浅間でも浅間神社を祀っている。
天保二年(一八三一)に神主仙波大膳が写しまとめた「願書帳」(高橋良和家文書)によれば、寛永二十一年(一六四四)に本社や記録などすべてを消失したことから、その後阿部対馬守が復興し、以後、寛文十年(一六七〇)に阿部伊予守、貞享四年(一六七八)に松平伊賀守、元禄十三年(一七〇〇)に小笠原佐渡守、正徳六年(一七一六)・享保十二年(一七二七)・寛延元年(一七四八)にいずれも永井伊賀守、明和八年(一七七一)に大岡兵庫守が、雨社・末社・鳥居などの修復・造立を行い、歴代の城主から崇敬されたことがわかる。(「埼玉の神社」より)

境内石碑による冨士浅間神社の由緒

当社創建の史實は宝永七年(一七一〇)の火災で焼失したので詳でないが、約五〇〇年以前当時の岩槻城主太田氏が城下で最も標高の高い当地を選び社殿を造営して駿河国冨士山頂から神霊を勧請し安産子育ての守神として崇め奉り管理を眞方に委ね地名を冨士宿と名付けられた。
天正一八年(一五九〇)岩槻城落城して徳川の時世になるも代々の城主に引継がれて明治に至ったと傳えられている。
社殿等に就ては安政三年(一七五六)再度の火災で焼失して明治六年に再建された。
現在の社殿等は町内有志並びに冨士講信者に依り平成三年(一九九一)に新築再建されたものであります。
明治以後は町内で管理して現在に至った。
例祭日は冨士山山開きに因て毎年七月一日として地元はもとより遠く他の市町村からも参拝に訪れその賑ひわ跡を断たない。(境内石碑より)


冨士浅間神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)