岩槻八幡神社。さいたま市岩槻区本町の神社
岩槻八幡神社の概要
岩槻八幡神社は、さいたま市岩槻区本町にある神社です。岩槻八幡神社の創建年代等は不詳ながら、岩槻城武家屋敷の天神小路に鎮座、当社の北側には馬場があったことから、馬術の錬成に励んだ武士らにより崇敬されたのではないかといいます(徳川家康の関東入国後に任じられた岩槻城主が、岩槻城下町の整備に際し、まず天神社を祀り地名が起こり、その後馬場が設置され、八幡が勧請されたものと思われます)。明治維新後の社格制定に際して明治5年無格社とされ、昭和7年には、当社東側に隣接して鎮座していた天神社を合祀しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | 菅原道真公 |
境内社 | - |
住所 | さいたま市岩槻区本町4-8-23 |
祭日 | 例祭9月15日 |
備考 | - |
岩槻八幡神社の由緒
岩槻八幡神社の創建年代等は不詳ながら、岩槻城武家屋敷の天神小路に鎮座、当社の北側には馬場があったことから、馬術の錬成に励んだ武士らにより崇敬されたのではないかといいます(徳川家康の関東入国後に任じられた岩槻城主が、岩槻城下町の整備に際し、まず天神社を祀り地名が起こり、その後馬場が設置され、八幡が勧請されたものと思われます)。明治維新後の社格制定に際して明治5年無格社とされ、昭和7年には、当社東側に隣接して鎮座していた天神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による岩槻八幡神社の由緒
(岩槻城並城下町)
天神小路
大手門の前より西南の方への直路なり、南方に木戸あり、天神口と號す、
天神社・八幡社
以上二社、天神小路にあり。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による岩槻八幡神社の由緒
八幡神社<岩槻市本町四-一六六(太田字天神小路)>
当地は、長禄元年(一四五七)に太田道真によって築城されたと伝わる岩槻城の武家屋敷の一角であった。武家屋敷は地区ごとに小路名で呼ばれたが、当地は通りに面して天神社が祀られたことから、天神小路と称した。
当社は、武神として城主の信仰も厚く、天保十三年(一八四二)の「岩槻城侍屋鋪絵図」を見ると、当社の北側には馬場が位置していた。このことから、当社はこの地で馬術の錬成に励んだ城内の武士により武神として崇敬されたと考えられる。当社境内の手水鉢に「八幡御宝前宝永五戌子年(一七〇八)六月吉日 願主覚応方円居士」の銘があることから、創建年代はこの時期まではさかのぼることができる。
一方、小路名の由来となった天神社は、先の絵図によると当社の東に隣接して祀られていた。由緒は不詳であるが、当社境内に移された手水鉢の元禄五年(一六九二)の紀年銘から、江戸中期には既に祀られていたことが知られる。また、先の絵図によれば、天神社は別当円明寺(明治四年廃寺)と境内を一にしていた。
当社は明治五年に無格社とされた。昭和七年には天神社を合祀し、現在当社の本殿内にはこの時に移した、厨子に納められた高さ一六・五センチメートルの天満天神座像が奉安されている。(「埼玉の神社」より)
岩槻八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)