府内白山神社。さいたま市岩槻区府内の神社

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府内白山神社。さいたま市岩槻区府内の神社

府内白山神社の概要

府内白山神社は、さいたま市岩槻区府内にある神社です。府内白山神社の創建年代等は不詳ながら、古くから木曾良村の鎮守として祀られていたとされ、明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格していました。団地造成に伴い、昭和50年当地へ移転しています。

府内白山神社
府内白山神社の概要
社号 白山神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 八幡、春日、天満宮、北神社、三島神社
住所 さいたま市岩槻区府内2-22-25
祭日 夏祭り7月10日、祭礼9月7日
備考 -



府内白山神社の由緒

府内白山神社の創建年代等は不詳ながら、古くから木曾良村の鎮守として祀られていたとされ、明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格していました。団地造成に伴い、昭和50年当地へ移転しています。

「埼玉の神社」による府内白山神社の由緒

白山神社<岩槻市府内二-二-三六(旧木曾良字屋敷)>
岩槻城下富士宿町の南に位置する木曾良は、元荒川右岸の岩槻台地上に当たる。『埼玉県地名誌』によると、木曾良のキソには崖、傾斜地の意があり、元荒川に望む崖地ないし傾斜地からその名が起こったという。
村の開発については『郡村誌』に「寛永十年癸酉(一六三三)の縄入に木曾良村平十郎と記載せり、然れば其以前より独立の村なるべし」とある。地内の旧家は宮内家で、「おかしら」の屋号で呼ばれた本家は既に絶えているが、その分家筋に当たる宮内美智子家は本家の初代から数えて一八代目であるという。同家の隣には「おかしら」の家にかかわると伝える観音堂があり、昭和三十四年にその地所が宮内家から当社に寄進され、現在当社の飛び地境内となり、観音堂は自治会館として利用されている。
当社は『風土記稿』に見えず、江戸期の様子については明らかでないが、古くから木曾良村の鎮守として崇敬されていた模様で、明治五年に村社となっている。元は今よりも北東に鎮座し、田の広がる中の一段高い所に境内地があり、欅・杉・檜などの大木が立ち並んでいた。観音堂のすぐ近くに第一鳥居が建ち、ここから長い参道が始まり中程には第二鳥居もあった。昭和五十年に東急団地の造成のため、移転を余儀なくされ、代替地として現在地が選定された。(「埼玉の神社」より)


府内白山神社の周辺図


参考資料

  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)