飯塚神社。旧称久伊豆社
飯塚神社の概要
飯塚神社は、さいたま市岩槻区飯塚にある神社です。飯塚神社の創建年代等は不詳ながら、建武元年(1334)の法華寺宛て足利尊氏御教書に「飯塚村」の地名があることから、鎌倉時代末期には既に村落が成立、その頃には祀られていたのではないかといいます。江戸期には久伊豆社と称して、飯塚の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治40年字本田無格社諏訪神社、字原無格社八幡神社、字新切無格社稲荷神社の三社を合祀し、飯塚神社と改称してります。
社号 | 飯塚神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | 建御名方命、応神天皇、倉稲魂命 |
境内社 | 天神社、御嶽社、神明社、八幡社 |
住所 | さいたま市岩槻区飯塚1294 |
祭日 | 例祭4月3日、宮薙7月14日 |
備考 | - |
飯塚神社の由緒
飯塚神社の創建年代等は不詳ながら、建武元年(1334)の法華寺宛て足利尊氏御教書に「飯塚村」の地名があることから、鎌倉時代末期には既に村落が成立、その頃には祀られていたのではないかといいます。江戸期には久伊豆社と称して、飯塚の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治40年字本田無格社諏訪神社、字原無格社八幡神社、字新切無格社稲荷神社の三社を合祀し、飯塚神社と改称してります。
新編武蔵風土記稿による飯塚神社の由緒
(飯塚村)
久伊豆社
村の鎮守にて、祭神は大己貴命と云、本地佛は十一面觀音を安ず、
末社。辨天、神明、稲荷
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諏訪社
八幡社
以上密嚴院の持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による飯塚神社の由緒
飯塚神社<岩槻市飯塚一二九四(飯塚字本田)>
飯塚の地名は、建武元年(一三三四)二月六日の、足利尊氏御教書に「武蔵国飯塚村」とあり、このころ既に開発がなされていたことがうかがえる。また、戦国時代には、岩槻城主太田氏の支配下にあり、棟別銭などの免除を受けていたことが、地内にある法華寺の古文書によって知られている。
当社の境内は、この飯塚のほぼ中央にあり、今でこそそれほど大きな樹木はないものの、かつては鬱蒼とした大木に囲まれた神社であったという。元来、当社は久伊豆社と称し、大己貴命を祀ってきたが、明治四十年六月六日に字本田無格社諏訪神社、字原無格社八幡神社、字新切無格社稲荷神社の三社を合祀したことにより、祭神に建御名方命・応神天皇・倉稲魂命の三柱を加え、社号を飯塚神社と改めた。しかし、改称の後も、古来用いられてきた久伊豆神社の社号は、通称として存続し、今でも当社は「産土様」「久伊豆様」と呼ばれ、親しまれている。
その後、大正四年には、御大典記念事業として社殿が再建され、昭和五十年には社務所兼飯塚自治会館が境内に新設され、明るい雰囲気の神社になった。なお、当社に合祀された三社の内、諏訪神社と稲荷神社は、旧地に社殿が残っており、旧氏子の間で「諏訪講」「稲荷講」という祭事が継続されている。(「埼玉の神社」より)
飯塚神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)