掛稲荷神社。石井家の氏神として創建
掛稲荷神社の概要
掛稲荷神社は、さいたま市岩槻区掛にある神社です。掛稲荷神社の創建年代は不詳ながら、石井家の氏神として創建したものだといい、天明7年(1787)の造立棟札が残されているといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市岩槻区掛315 |
祭日 | - |
備考 | - |
掛稲荷神社の由緒
掛稲荷神社の創建年代は不詳ながら、石井家の氏神として創建したものだといい、天明7年(1787)の造立棟札が残されているといいます。
新編武蔵風土記稿による掛稲荷神社の由緒
(掛村)
天神社
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庵一宇
不動を安ず、以上村民持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による掛稲荷神社の由緒
稲荷神社<岩槻市掛三一五(掛字中)>
掛は、杉山・小島・石井・清水・光山・小関・斎藤の七軒の農民によって開かれた村であるといわれ、『埼玉県地名誌』によれば、その地名は「崖」から来たもので、元荒川に臨む崖地に位置することから付けられたものであろうという。その名が示す通り、掛の集落は岩槻台地の縁にあり、当社の社殿の東は急な崖になっている。
当社は、草分けの七軒のうちの石井家(当主は茂夫。当社の南南西隣)の氏神として創建された神社と伝えられている。ただし、『風土記稿』掛村の項には当社についての記載がない。しかし、当社の境内の掛公民館の所にあった庵については「庵一宇 不動を安ず」と記されており、実際は庵と共に当社も村全体で祀られていたようである。ちなみに、この庵には大正期までは庵主として尼僧が住んでいたが、大正三年に没してからは無住となっていた。
一方、当社の内陣には、天明七年(一七八七)の造立棟札が納められており、それには「別当宝蔵寺沙門」の文字が見える。この宝蔵寺は、隣接する平林寺にある真言宗の寺院であり、掛村内に寺院がなかったため、隣村の寺院が当社の祭祀に関与していたものと思われる。なお、この棟札には願主として石井石次郎の名が見えるほか、寛政八年(一九七六)の墨書のある神璽筥には「石井氏」、神鏡の台座には「石井定女」の名が見え、同家との関係の深さがうかがわれる。(「埼玉の神社」より)
掛稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)