金重八雲神社。島村家の鬼門除けとして勧請
金重八雲神社の概要
金重八雲神社は、さいたま市岩槻区金重にある神社です。金重八雲神社の創建年代は不詳ながら、細川家国家老を務めていて当地に土着した島村家の鬼門除けとして勧請されたといいます。江戸期には金重村の鎮守社として祀られていました。
社号 | 八雲神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市岩槻区金重141 |
祭日 | - |
備考 | - |
金重八雲神社の由緒
金重八雲神社の創建年代は不詳ながら、細川家国家老を務めていて当地に土着した島村家の鬼門除けとして勧請されたといいます。江戸期には金重村の鎮守社として祀られていました。
新編武蔵風土記稿による金重八雲神社の由緒
(金重村)
牛頭天王社
村の鎮守なり、村民の持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による金重八雲神社の由緒
八雲神社<岩槻市金重一四一(金重字東)>
岩槻市の北西部に位置する金重は、元荒川の右岸の台地上に広がる農業地域の一角である。その村名はこの地が武蔵七党野与党の金重氏の在所であったことに由来しており、記録の上では嘉慶元年(一三八七)十一月の旧平林寺鐘銘に「渋江郷金重村」とあるように、南北朝期には既に一村であったことがわかる。
当社は、この金重村の鎮守として祀られてきた社で、『風土記稿』金重村の項には「牛頭天王社 村の鎮守なり、村民の持」とある。一方、口碑によれば、当社は元来は地元の旧家の島村家の鬼門除けとして勧請された神社であったが、村の発展に伴って鎮守として祀られるようになったものであるという。島村家は、福井県小浜の出で、応仁の乱の時期には細川家の国家老を務める家柄であったが、ある年の元旦に敵に攻められて当地へ落ち延びて来たといわれ、当主の若之で二七目を数える。ちなみに、同家の当主は代々「若」の字を名前に付けるのが習いであり、地元では昔から「若様」と呼ばれている。
また、『風土記稿』では当社は「村持」となっているが、実際は社僧がいて祭祀を行っていた。現在も境内に残る僧の墓石は、正徳四年(一七一四)と宝暦四年(一七五四)に没した僧を葬ったもので、かつては末社の稲荷社の東側に庵があり、昭和十六年まで実際に僧が住んでいた。(「埼玉の神社」より)
金重八雲神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)