本宿天満宮。本宿の一八軒により奉斎、本宿村の鎮守
本宿天満宮の概要
本宿天満宮は、さいたま市岩槻区本宿にある神社です。本宿天満宮の創建年代は不詳ながら、本宿に古くから続く関根・土橋・大久保・中島・中妻・栗原・畑中などの一八軒によって祀られていたといいます。江戸期には本宿村の鎮守として祀られ、明治6年には村社に列格したといいます。

社号 | 北野天満神社 |
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祭神 | 菅原道眞公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市岩槻区本宿327 |
祭日 | - |
備考 | - |
本宿天満宮の由緒
本宿天満宮の創建年代は不詳ながら、本宿に古くから続く関根・土橋・大久保・中島・中妻・栗原・畑中などの一八軒によって祀られていたといいます。江戸期には本宿村の鎮守として祀られ、明治6年には村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による本宿天満宮の由緒
(本宿村)
天神社
村内鎮守にて、村民持。
末社稲荷。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による本宿天満宮の由緒
北野天満神社<岩槻市本宿三二七(本宿字西)>
本宿は『風土記稿』に「太田氏岩槻城主タリシ頃ハ本宿町ト呼ヘリ」とある。当社はその西の外れに鎮座し、氏子の集落を見守るように祀られている。そのため、氏子はよく「天神様は氏子を見守ってくれている」という。
当社は、「元は一八軒持ちの神社であった」といわれるように、元来は、本宿に古くから続く関根・土橋・大久保・中島・中妻・栗原・畑中などの一八軒によって祀られていたと伝えられ、現在は空き地になっている境内の周辺の土地も、この一八軒の持ちである。中でも、元な主の関根良雄家は天正のころ(一五七三-九二)から十七、八代続く家柄で、この辺りでは一番の旧家であるという。
『風土記稿』本宿村の項に、当社は「天神社 村内鎮守にて、村民持、末社 稲荷」と載り、一方で口碑に天満宮から分霊したと伝えられてきた。明治六年に村社となるが、同四十四年二月に火災に遭い、本殿・拝殿を焼失した。その後、一間四方の仮宮を建て、神楽殿をその前に引き移して拝殿としてきたが、昭和四十年台に入って社殿を再興しようとの機運が起こり、氏子から浄財を集め、昭和四十七年二月二十八日に京都の天満宮から改めて分霊を受け、同年四月に社殿の再建を果たし、盛大に祭りを行った。なお、この再建の際、伏見稲荷大社の分霊も併せて受けてきた。(「埼玉の神社」より)
本宿天満宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)