香取稲荷神社。さいたま市岩槻区新方須賀の神社
香取稲荷神社の概要
香取稲荷神社は、さいたま市岩槻区新方須賀にある神社です。香取稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、明徳2年(1391)勧請とも伝えられます。江戸期には村の鎮守として祀られ、香取社と称していたものの、香取大明神と共に稲荷大明神が合殿として祀られていたといいます。
社号 | 香取稲荷神社 |
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祭神 | 経津主命、倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 天神、第六天、水神宮、天神 |
住所 | さいたま市岩槻区新方須賀1056 |
祭日 | - |
備考 | - |
香取稲荷神社の由緒
香取稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、明徳2年(1391)の勧請とも伝えられます。江戸期には村の鎮守として祀られ、香取社と称していたものの、香取大明神と共に稲荷大明神が合殿として祀られていたといいます。
新編武蔵風土記稿による香取稲荷神社の由緒
(須賀村)
香取社
村の鎮守となす、圓乗院の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による香取稲荷神社の由緒
香取稲荷神社<岩槻市新方須賀一〇五六(新方須賀字居附)>
新方須賀は、岩槻市の頭部に位置する農業地帯で、古くは単に須賀村ともいい、「菅村」と記すこともあった。その東境は春日部市に接し、南境には元荒川が流れており、水運が盛んであったころには元荒川の岸辺に河岸場があった。須賀河岸と呼ばれていたこの河岸場は、元荒川の対岸に位置する末田村の河岸場と併せて「末田須賀河岸」と称することもあり、寛政元年(一七八九)の記録によれば、末田須賀河岸では上船だけで四一一九俵を運んだという。
当社は、この新方須賀村の鎮守として祀られてきた神社で、その社名が示している通り、香取神社と稲荷神社の合殿である。しかし、この合殿は明治末期の政府の合祀政策によって誕生したものではなく、江戸時代から合殿として祀られてきたものであることが、二間社流造りという本殿の建築様式や、天保十一年(一八四〇)に神祇伯家から受けた神璽筥に「正一位香取大神宮稲荷大明神」と両社の社名が併記されていること、宝永六年(一七〇九)に奉納された二面の木製の神鏡形には各々「香取大明神」「稲荷大明神」の文字が刻まれていることからわかる。
ただし、合殿とはいっても、その主体は香取神社であったことが、「かんどりさま」という通称や、『風土記稿』須賀村の項の「香取社 村の鎮守となす」という記述からうかがえる。また、当社の創立は『明細帳』に「明徳二年(一三九一)三月勧請」とあるが、明確な根拠を欠く。(「埼玉の神社」より)
香取稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)