三社神社。さいたま市岩槻区徳力の神社
三社神社の概要
三社神社は、さいたま市岩槻区徳力にある神社です。三社神社の創建年代は不詳ながら、徳力村の鎮守社として祀られ、三社権現社と称し、観音・毘沙門・大威徳明王を本尊(本地仏)としていました。明治6年に村社に列格していました。

社号 | 三社神社 |
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祭神 | 天照皇大神・月弓皇大神(月読尊の別称)・宇迦能賣命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市岩槻区徳力60 |
祭日 | - |
備考 | - |
三社神社の由緒
三社神社の創建年代は不詳ながら、徳力村の鎮守社として祀られ、三社権現社と称し、観音・毘沙門・大威徳明王を本尊(本地仏)としていました。明治6年に村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による三社神社の由緒
(徳力村)
三社権現社
村の鎮守とす、祭神は傳へず、社内に本地佛観音・毘沙門・大威徳明王の三尊を安ぜり、遍照寺持。
末社。稲荷第六天合社、天神(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による三社神社の由緒
三社神社<岩槻市徳力六〇(徳力字西)>
慈恩寺のある台地と、元荒川との間に位置する低地に開かれた徳力は、古くは太田荘に属したといい、江戸時代初期から正徳元年(一七一一)までは岩槻藩領であった。この、徳力村の鎮守として祀られてきたのが当社で、明治五年には村社となり、現在も地元の人々から「鎮守様」の通称で親しまれている。
『風土記稿』の徳力村の項に、当社は「三社権現社 村の鎮守とす、祭神は伝へず、社内に本地仏観音・毘沙門・大威徳明王」の三尊を安ぜり、遍照寺持、末社 稲荷第六天合社 天神」として記されている。本殿は三間社流造り(ただし内部には仕切りがない)で、『風土記稿』に記事に載る「観音・毘沙門・大威徳明王」の三体の本地仏の像が、現在も内陣に安置されている。なお、『明細帳』では当社の由緒について「創立不詳 安政五戌午年(一八五八)大破に付、氏子協議之上同年中再建」とあり、この本殿の竣工年がわかる。
本殿の三間社という構造からもわかるように、当社は古来、三柱の神を祀る神社として信仰されてきたものの、『風土記稿』にもあるように、祭神については既に江戸時代中期には不明になっていたようである。『明細帳』は、当社の祭神を天照皇大神・月弓皇大神(月読尊の別称)・宇迦能賣命(豊宇気毘賣神の別称)の三神としているが、残念ながらその由来については伝えていない。(「埼玉の神社」より)
三社神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)