浮谷神社。さいたま市岩槻区浮谷の神社

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浮谷神社。旧称久伊豆社

浮谷神社の概要

浮谷神社は、さいたま市岩槻区浮谷にある神社です。浮谷神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代末期から江戸時代初頭までの間に浮谷が開発されたと推定されることから、社が祀られたのもその頃ではないかといいます。江戸期には久伊豆社と称して浮谷村の下組の鎮守として祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治42年に字宮台の無格社八幡社、同境内社の二柱神社、字寺家の無格社熊野社と無格社羽黒社を合祀し、浮谷神社と改称しています。

浮谷神社
浮谷神社の概要
社号 浮谷神社
祭神 大己貴命、天穂日命、応神天皇など8柱
相殿 -
境内社 羽黒、榛名、熊野、稲荷、神明宮
住所 さいたま市岩槻区浮谷153
祭日 例祭4月3日、宮薙7月14日
備考 -



浮谷神社の由緒

浮谷神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代末期から江戸時代初頭までの間に浮谷が開発されたと推定されることから、社が祀られたのもその頃ではないかといいます。江戸期には久伊豆社と称して浮谷村の下組の鎮守として祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治42年に字宮台の無格社八幡社、同境内社の二柱神社、字寺家の無格社熊野社と無格社羽黒社を合祀し、浮谷神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による浮谷神社の由緒

(浮谷村)
八幡社
村の鎮守なり、浪除の八幡と號す、浮谷院の持、
不動堂。役行者が作りしと云像を安ず、
末社。牛頭天王、牛天神、雷電、稲荷、辨天、疱瘡神
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久伊豆社
神明社
稲荷社
熊野社
以上四社神主仙波大和持、大和は吉田家の配下なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による浮谷神社の由緒

浮谷神社<岩槻市浮谷一五三(浮谷字松葉)>
浮谷は、綾瀬川の左岸に位置する農業地域である。その開発の時期は定かではないが、先々代の和吉の代まで当社の神職を務めていた仙波文雄家は、一九代続く旧家であることや、かつて八幡社があった所に住み、「法印」の屋号を持つ旧修験浮谷院の本田文雄家は、大坂落城の後に当地に来て住み着いたと伝えていることなどから、室町末期から江戸初頭にかけてのことと推測される。
『風土記稿』浮谷村の項を見ると、「八幡社 村の鎮守なり、浪除の八幡と号す、浮谷院の持、不動堂 役行者が作りしと云像を安ず、末社 牛頭天王 牛天神 雷電 稲荷 弁天 疱瘡神 ○久伊豆社○神明社○稲荷社○熊野社 以上四社神主仙波大和持、大和は吉田家の配下なり、○神明社 浮谷院の持 末社 稲荷 疱瘡神」と記されているように、江戸時代には村内に多くの神社があった。当社は、これらのうちの久伊豆社に当たり、明治六年に村社になった。その後、政府の合祀政策に従って地内の神社の整理統合が実施され、明治四十二年に字宮台の無格社八幡社、同境内社の二柱神社、字寺家の無格社熊野社と無格社羽黒社の四社が当社に合祀され、これにより当社の社号は浮谷神社と改められた。この合祀が実施されるまでは、八幡社は上組の鎮守、久伊豆社は下組の鎮守とされ、各々別に祀られていたが、合祀後は浮谷全体で当社を祀るようになり、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


浮谷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)