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末田鷲神社。さいたま市岩槻区末田の神社

末田鷲神社の概要

末田鷲神社は、さいたま市岩槻区末田にある神社です。末田鷲神社は、弘治3年(1557)に創建、末田村の鎮守として崇敬され、明治維新後には村社に列格していました。明治40年には字外野組無格社愛宕神社、字外野組無格社稲荷神社を合祀しています。

末田鷲神社
末田鷲神社の概要
社号 鷲神社
祭神 天穂日命
相殿 軻遇突智命、倉稲魂命
境内社 -
住所 さいたま市岩槻区末田1966
祭日 -
備考 -



末田鷲神社の由緒

末田鷲神社は、弘治3年(1557)に創建、末田村の鎮守として崇敬され、明治維新後には村社に列格していました。明治40年には字外野組無格社愛宕神社、字外野組無格社稲荷神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による末田鷲神社の由緒

(末田村)
鷲宮社
村の鎮守とす、華光院持、
末社。疱瘡神、天神、稲荷、庚申(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による末田鷲神社の由緒

鷲神社<岩槻市末田一九六六(末田字上手)>
戦国時代ごろの成立と推定される「市場之祭文写」の中に「武州騎西郡末田市祭成之」と見えるように、末田は早い時期から開発が進められた村である。
地内にある金剛院は、京都仁和寺の末寺で、寛正三年(一四六二)の創立以来、真言宗の檀林所として多くの僧侶の教化を行い、また、天正十九年(一五九一)には徳川家康から寺領一〇石の朱印状を賜わったことで知られている。
当社は、氏子から「お鷲様」の通称で親しまれている。その創建は『明細帳』によると、弘治三年(一五五七)十一月十五日のことである。また、『風土記稿』末田村の項には「鷲宮社 村の鎮守とす、華光院持」と記されている。神仏分離を経て、明治六年四月に村社となった。
祭神は、天穂日命・軻遇突智命・倉稲魂命の三柱であるが、元々の祭神は天穂日命一柱だけで、軻遇突智命は、明治四十年六月十一日に字外野組から合祀した無格社愛宕神社の祭神、倉稲魂命は、同年に同所から合祀した無格社稲荷神社の祭神である。
江戸時代に当社の別当であった華光院は、地内の金剛院の末寺で、鷲林山と号し、不動明王を本尊としていた。この華光院は、神仏分離によって明治六年に廃寺となり、その痕跡も既になく、今では同寺の存在を知る人さえもいなくなった。(「埼玉の神社」より)


末田鷲神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)