岩槻八雲神社。市の守護神として鎮座
岩槻八雲神社の概要
岩槻八雲神社は、さいたま市岩槻区本町にある神社です。岩槻八雲神社は、勝田佐渡守が永禄3年(1560)正月に市を開設した折に市の守護神として鎮座、明治初年八雲神社と改称したといいます。
社号 | 八雲神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市岩槻区本町1-15 |
祭日 | 例大祭7月7日・7月15日 |
備考 | - |
岩槻八雲神社の由緒
岩槻八雲神社は、勝田佐渡守が永禄3年(1560)正月に市を開設した折に市の守護神として鎮座、明治初年八雲神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による岩槻八雲神社の由緒
(市宿町)牛頭天王社
市の守護神とす。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による岩槻八雲神社の由緒
当神社の創建と由緒は、当地の旧勝田氏祖先の勝田佐渡守が永禄三年(一五六〇年)正月に市を開設した折に市の守護神として鎮座し、市を開いたのが最初には必ず市場の祭文を読みいる習わしだったと伝えられています。江戸時代は牛頭天王社と称され明治時代になると八雲神社と改称されました。天王様の名称で人々に親しまれております。祭神は素戔嗚尊で商の神火防の神として霊験あらたかです。神殿は昔県道の中央に鎮座し神社から下に向って背中合せに市が立ち近郷近在からの人でで雑踏いたしました。現在の社殿は明治一七年(一八八四年)十一月二十八日に落成し明治二十一年(一八八八年)に現在地に移されました。境内地に現在緑の広場として子供や市民の皆さんから親しまれております。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による岩槻八雲神社の由緒
八雲神社<岩槻市本町一-一五(岩槻字市宿)>
当社は素盞嗚命を祀り「市神様」とも「天王様」とも通称される。鎮座地は、岩槻城の城下町の一つであった市宿町の中央を東西に走る日光御成街道沿いである。社伝によると、永禄三年(一五六〇)岩槻太田氏の家臣勝田佐渡守が当地に市を開設した際に市の守護神として祀ったことに始まり、市を開くに当っては必ず山伏が当社の神前で祭文を読み上げて市祭りを行ったという。ちなみに、江戸期の市は毎月一・六日を定日として月に六回開かれる六斎市で、町名主の勝田家が代々差配していた。
文化三年(一八〇六)の『日光御成街道分間延絵図』や江戸期の岩槻城絵図を見ると、当社は今よりも東南に一〇〇メートルほどの街道の中央部(城下外れの加倉口に至る手前の路上)に東北向きに「市神」として祀られていたことがわかる。また、化政期(一八〇四-三〇)の『風土記稿』市宿町の項には「牛頭天王社 市の守護神とす」と載せられている。
明治初年の神仏分離により当社は八雲神社と改称した。この社名は『古事記』に見える素盞嗚命の「夜久毛立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌の「夜久毛」にちなんで付けられた。
明治十七年に社殿を再建し、同二十一年の道路拡幅に伴い遷座し、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
岩槻八雲神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)