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月讀神社。さいたま市岩槻区慈恩寺の神社

月讀神社の概要

月讀神社は、さいたま市岩槻区慈恩寺にある神社です。月讀神社は、明治維新に際して十二天社が廃されるのを免れるために、慈恩寺が資金拠出して調神社の分霊を勧請して創建したといいます。隣接する十二天社は、慈覚大師が天長年間(824-834)に開闢した慈恩寺の守護神として祀られ、江戸期を通じて慈恩寺三村の鎮守だったといいます。

月讀神社
月讀神社の概要
社号 月讀神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市岩槻区慈恩寺759
祭日 -
備考 -



月讀神社の由緒

月讀神社は、明治維新に際して十二天社が廃されるのを免れるために、慈恩寺が資金拠出して調神社の分霊を勧請して創建したといいます。隣接する十二天社は、慈覚大師が天長年間(824-834)に開闢した慈恩寺の守護神として祀られ、江戸期を通じて慈恩寺三村の鎮守だったといいます。

新編武蔵風土記稿による月讀神社の由緒

(慈恩寺村慈恩寺項)
十二天社。本坊の北にあり、慈恩寺三村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による月讀神社の由緒

月讀神社<岩槻市慈恩寺七五九(慈恩寺字入山)>
当地名となった慈恩寺は、天台宗の名刹で、天長年間(八二四-八三四)慈覚大師によって創建されたと伝えられる。戦国期の岩付城主太田資正により寺領が安堵された時には、領内に六六坊もの塔頭が経つほど隆盛を誇った。
『風土記稿』慈恩寺村の項には「十二天社 本坊の北にあり、慈恩寺三村の鎮守なり」と載り、江戸期までは、慈恩寺の北方に鎮座していた十二天社が、当地の鎮守であったことがわかる。また、清水浩家所蔵の元禄四年(一六九一)の文書に、慈覚大師が慈恩寺開創のみぎり、逢山原(現大字裏慈恩寺の小名)に十二天尊が現れて、仏教擁護を誓約したという創建の縁起を載せ、更に第三四世学頭亮全が、同社再建を決意したところ、旧内陣より「天正年中再奥之札」と書かれた古札が出てきたため、改めてその板面に本迹の梵字を写し、本尊とともに奉納して当山一門と慈恩寺村の繁栄を祈願した旨が記されている。
明治維新になると、浦和市岸町の調神社に分霊を願い出て、十二天社の隣接地に月讀神社すなわち当社を建立した。これは、十二天社が慈恩寺の創建と深くかかわり、同寺の守護神として一体不離のものであったことから、明治初年の神仏分離政策をかわすために、当社を創建したものと推測される。ちなみに、創建時の建築費は慈恩寺が捻出したという。社名については十二天を暦の月に当てたものであろう。(「埼玉の神社」より)


月讀神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)