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東浦和明神社。さいたま市緑区東浦和の神社

東浦和明神社の概要

東浦和明神社は、さいたま市緑区東浦和にある神社です。東浦和明神社の創建年代等は不詳ながら、(平将門の末裔に当たる)奥州相馬氏が祀った相馬の相馬小高神社(福島県相馬郡小高町鎮座)の分霊を勧請して創建、神明社と称していたものの、いつの頃からか明神社と称するようになったといいます。武蔵野線の開通に伴い、境内地に神明社と二社の稲荷社が昭和41年遷座しました。

東浦和明神社
東浦和明神社の概要
社号 明神社
祭神 平将門公
相殿 -
境内社 神明社、稲荷社2社
住所 さいたま市緑区東浦和2-48-2
祭日 例大祭10月15日
備考 -



東浦和明神社の由緒

東浦和明神社の創建年代等は不詳ながら、(平将門の末裔に当たる)奥州相馬氏が祀った相馬の相馬小高神社(福島県相馬郡小高町鎮座)の分霊を勧請して創建、神明社と称していたものの、いつの頃からか明神社と称するようになったといいます。武蔵野線の開通に伴い、境内地に神明社と二社の稲荷社が昭和41年遷座しました。

新編武蔵風土記稿による東浦和明神社の由緒

(井沼方村)
稲荷社
神明社
熊野社
阿彌陀堂
地蔵堂
薬師堂
以上六宇村民の持、地蔵、薬師の二堂は今廢す。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による東浦和明神社の由緒

明神社<浦和市井沼方三九〇(井沼方字馬堤)>
平安中期の武将である平将門は相馬小次郎とも称した。下総を本拠として関東各地に勢力を伸張し、中央派遣の国司を次々に追放して一族を国司に任命し、自ら新皇と称して関東の自立を図った。『将門記』によると、将門は侠気に富む人物であり、皇胤の自覚をもちながら武芸によって身を立てようとしたつわものであったという。このような将門の行動は関東の民衆に大きな影響を与え、将門を英雄として仰ぐ気風は時とともに強まり、死後の霊魂説話や子孫説話も作られていった。
当社は平将門公を祀り、その創建は将門にかかわる伝説に基づいている。ある時、将門の家来が戦に敗れて落ち延び、この地の国谷家にしばらくの間かくまわれた。このような縁で、後に、将門の末裔に当たる奥州相馬氏が祀った相馬の相馬小高神社(福島県相馬郡小高町鎮座)から分霊を当地に勧請したという。
『明細帳』には「往古ハ神明社ト唱ヘシガ、イツノ頃カ明神社と改称ス」と載せられている。明治初年には無格社とされた。
昭和四十一年の武蔵野線開通に伴い、境内地に神明社と二社の稲荷社が移され、本殿も一〇メートルほど南東の現在地に引き移された。また、昭和六〇年に鳥居を再建し、同六十二年には本殿を再建し、更に翌六十三年には境内の神明社と二社の稲荷社を再建、本殿の覆屋を新築した。(「埼玉の神社」より)


東浦和明神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)