大牧八幡神社。江尻城の鎮守八幡社を勧請
大牧八幡神社の概要
大牧八幡神社は、さいたま市緑区大牧にある神社です。大牧八幡神社は、武田信玄の娘見性院(元和8年1622年没)の夫穴山梅雪の家臣だった岡村家が当地に土着、梅雪の居城だった江尻城の鎮守八幡社を勧請して創建したのではないかといいます。明治6年村社に列格したといいます。

社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市緑区大牧1469 |
祭日 | 例大祭9月15日 |
備考 | - |
大牧八幡神社の由緒
大牧八幡神社は、武田信玄の娘見性院(元和8年1622年没)の夫穴山梅雪の家臣だった岡村家が当地に土着、梅雪の居城だった江尻城の鎮守八幡社を勧請して創建したのではないかといいます。明治6年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による大牧八幡神社の由緒
(大牧村)八幡社
當村の鎮守なり、村民の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大牧八幡神社の由緒
八幡神社<浦和市大牧一四九六(大牧字梅所)>
当社は、江戸期より村の鎮守として祀られ、代々名主を務めていた岡村家の鬼門に当たる場所に鎮座している。
この岡村家は、同じく当地の有泉家と共に甲斐武田家の家臣と伝えている。当地と武田一門とのかかわりは、武田信玄の娘で、重臣穴山梅雪の夫人見性院が、夫梅雪が徳川家康に下った後に、本能寺の変で堺より帰国の途次に一揆によって殺されたものの、家康によって保護を受け、家康の関東移封に従って江戸に来て、当村内に三〇〇石の領地を賜ったという。岡村家は恐らく穴山梅雪の家臣で、主人亡き後も見性院に従い、その所領を治めるために当地に任ぜられた後、土着したものと思われる。また、八幡神社を当所に祀ったのは、主人梅雪が武田の属城であった駿河国江尻城主であった時に、江尻城の鎮守として崇敬の厚かった八幡宮(静岡県清水市)を勧請したものと思われる。
更に、当社周辺の字名を梅所と呼ぶのも、穴山梅雪の名前にちなんで付けられた地名であると伝えられている。
なお、見性院は、秀忠の子幸松君(保科正之)の養育に当たるなどしたが、元和八年(一六二二)に没し、領地として縁のあった当地の天台宗清泰寺に葬られている。
明治六年四月に、当社は村社となり、昭和四十一年九月には氏子の協力によって、本殿及び覆屋の修築が行われた。(「埼玉の神社」より)
大牧八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)