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大間木稲荷社。さいたま市緑区大間木の神社

大間木稲荷社の概要

大間木稲荷社は、さいたま市緑区大間木にある神社です。大間木稲荷社は、見沼干拓による新田開発に伴ってこの地に住み着いた人々が享保16年(1731)に創建したといいます。

大間木稲荷社
大間木稲荷社の概要
社号 稲荷社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市緑区大間木1914
祭日 -
備考 -



大間木稲荷社の由緒

大間木稲荷社は、見沼干拓による新田開発に伴ってこの地に住み着いた人々が享保16年(1731)に創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による大間木稲荷社の由緒

(大間木新田)稲荷社
村の鎮守なり、享保年中開發のとき勧請せしと云、村持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大間木稲荷社の由緒

稲荷社<浦和市大間木1914(大間木字八町)>
八代将軍徳川吉宗の命により、見沼干拓のために紀州から呼び寄せられた伊沢弥惣兵衛為永は、この難事業を享保十二年(一七二七)に成し遂げた。この事業によって失われた見沼溜井に代わる用水として開削されたのが見沼代用水で、その竣工は享保十六年(一七三一)である。見沼代用水は、農業用水として利用されただけでなく、舟運にも利用され、陸上交通が発達する昭和初期まで、江戸(東京)と用水縁辺の村々との間の物資の輸送に重要な役割を果たしてきた。
当社の鏡座する八丁は、この見沼通船の会所が設けられ、重要な荷揚げ場となっていた所で、船頭など舟運にかかわる人々も多く居住しまさに見沼通船の基地であった。『明細帳』には、当社の由緒について「創立享保十六亥年九月其他不詳」と記されているが、この創立年から、当社は、見沼干拓による新田開発に伴ってこの地に住み着いた人々が勧請した神社であると思われ、本殿には勧請の際に受けた神璽などを納めでいたものらしき宮が残っている。
また、境内には天保二年(一八三一)三月大吉日に氏子中が幟立を奉納していることや、天保六年(一八三五)二月初午に氏子の鈴木粂之助が手水鉢を奉納していることから、このころ境内の整備が図られたことが推測される。更に、拝殿内の額から、明治二十八年に参道の敷石や幟竿及び幟竿置場の奉納があったことがわかる。(「埼玉の神社」より)


大間木稲荷社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)